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自信を持って言える治療法です。
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投稿者 メッセージ
sin
未登録ユーザー





記事日時: 2007/4/3 01:21    記事の件名: 自信を持って言える治療法です。 引用付きで返信

おとつい?このサイトを見つけて投稿しましたが、改めて、皆さん初めまして!
sinと申します。

もう一つの投稿でも書きましたが、僕は高校二年で脇見が発症して、一年ほど頑張って登校してましたが(毎日必死に下を向いて寝ながら・・)、限界がきてリタイヤ。
それから先の真っ暗な人生に絶望を持ったまま、5年引き篭もり、色々あって必死に社会に出て二年経ちますが、その二年で、赤面、キョドリ、自己視線に過呼吸など、あらゆる神経症が治りました。
脇見も完全には直ってませんが、大分良くなって、今出来ない事は人と並んでテレビを見たりデスクなどに座って隣に人がいる所で作業をしたり、あと人を助手席に乗せての運転、視界に人が入る状態でのカラオケ、といった、猝曚辰督校間人と並ぶ状態”だけです。
だけと言ってもこれが実際かなり僕の人生の足枷になってるのは事実ですけど・・
でも人と並んでご飯を一緒に食べたり、コミュニケーションを取るには全く問題なくなりました。
なので、生活の支障は殆どないです。


僕はたった二年で最悪な対人恐怖から抜け出せたので、本当はサイトを作って自分の経験談を事細かに説明したいのですが、
それを僕がやってしまったら僕はきっとこのまま完治しないだろうと思うので、やりません。
なぜならば、色んな所で言われてる事ですが、治そうと努力する事が一番良くないからです。
そんな事忘れて、他の人と何も変わらない生活をする事が一番の治療になるのです。
なので僕はこの手のサイトに常駐する事も避けているし、普段は全くメンヘル系の本だのサイトだのは見ません。
なので、今後長くここにいる事もないです。

けれど、僕もそうだったけれど、発症して苦しんでいる時は本当に人生先が真っ暗で、どう生きていけばいいのかも分からず、怖くて仕方なかったし、自殺などを考える人がいるのも分かるんです。
でも、この病気を患ってても生きていけるんだ、良くなるんだっていう事実を、残しておきたい。
一人でも希望を与えたいって思うので、最初で最後ですが、このサイトに僕がどうやってここまでよくなったのか、その方法を書き残しておきたいと思います。
本気で治したいって思う人は、参考にして下さい。

凄く長くなると思いますが・・。
長い中に、皆さんのヒントとなる事が沢山あると思います。
自分と比べて、色々気づいて頂けたらなと思います。


まず、発症当時、僕の対人恐怖症レベルは最悪だったと思います。
脇見もそうだけど、ありとあらゆる神経症を患ってました。
まともに外に出る事も出来なくて、コンビニで買い物をするだけでも例えばお金を払う時無意味に緊張して手が震えお金を落としてしまったり。

自己視線と脇見は僕は別物だと思ってます。
何故ならば自己視線は治ったから。
自己視線とは、自分の視線を何処においたらよいのか常に困り、人がいるだけで常に物凄い緊張と疲れが伴います。
なので、人のいる場にいる事自体困難です。
けれど今はそれが全く無いので、電車などにもふつーに乗れます。今では目を開けて座っていれます。


とにかく、以前は外に出れなかったんです。
外どころか家族ともいれませんでした。

発症理由はなんとなく分かるんですが、学生時代僕は人と接する事をせず、授業中も休み時間もただひたすら時間が過ぎるまで寝てました。
学校が嫌で仕方なかったんです。特に夢などもなかったし。
学校が終わると家に帰りまた少し寝て、起きてからは一人で当時好きだったアイドルの録画してたビデオをひたすら見る事が楽しみでした。
あと音楽が凄く好きで聞いてたのと、それくらいです。
毎日ただその繰り返しでした。
そんな中発症し、そして引き篭もってからはパソコンを始め、ただ現実逃避でネットを楽しんでたんですが、悪くなる一方でした。

ずっと逃避していたんですが、ある日潜在意識系のサイトに出会い、それから自分の人生や世の中の真理について深く考えるようになりました。
心理学や哲学に興味を持ち、そして神学系の書物を読むようになりました。
世の中の真理について勉強するようになりました。
それからです。僕の生きる事に対する考えが変わり始めたのは。
『やればどんな事だって出来るんだ。』『自分の現況は自分の心が作り出したものなんだ』
など、色んな事が洗脳とかじゃなく論理的に理解できるようになり、初めて自分の人生に夢を持つようになりました。
「こうなりたい、こうしたい」と。

で、それを叶える為にはやはりお金が必要だったし、社会に出なければ始まらない。
それで、ホントに勇気を振り絞ってバイトの面接を何個か受けました。
別に自己視線でも脇見でも、出来る仕事は沢山あります。
けれどそれまでの僕は、「接客は向いてないしやりたくない」とか「厨房ならやりたいけど脇見だから隣に人がいたら無理」とか、結局脇見でも出来る仕事はやりたくなかったから受けなかったんです。
そこまでして働く理由も無かったし。
それに、接客業などでもある程度自己視線や脇見は出るだろうし、実際努めたら想像以上に人の中にいるのが苦痛かもしれないと思ったから。
とにかく怖かったんです。

面接を受けても、面接官の目を見れないし赤面でキョドるしで、ことごとく落ちました。
人と並んでしなければならない作業系の仕事は出来ないので、受けるのはどうしても接客系。そんな仕事だからなお更そんな人間落とされます。
ただでさえ欝でモチベーションがあがらないのに面接で落ちたりしたもので、本当にもう社会に出れないのかと思いました。

けれど、近所の居酒屋で募集してると聞いたので、思い切ってもう一度受けてみました。
それまで僕は、友達は良い大学とか言ってるのに自分は近所でいい年してバイトなんて恥ずかしいと思ったので街中ばかり受けていたんです。
けど、そうも言ってられないと思って、受けました。
前の面接では「貴方は笑顔が無い」とか色々言われてたので、そりゃあもう、超笑顔で勢いつけて、必死に受けました。
で、「よしっ笑顔あるしな」と言われその場で合格。
後に聞いた話では人がいなくて困ってたってのもあるそうなんですが。
確かに街中より田舎の居酒屋の方が受ける人はいないでしょうね。

僕は何故か昔から社会ってものが凄く怖かったし、仕事をするってどういう事なのか想像も付かなかったので、怖くて仕方なかったです。
ただでさえ、極度の対人恐怖を患ってたわけだし、人と接するのは数年ぶりだし・・。
初めてのバイトの日は、恐怖を通り越してもうどっか開き直ってました。
あんなに勇気っていうものを使った日はなかったです。

最初は案の定神経症は出まくりました。
料理が出され、それを取って運ぶわけですが、隣に人がいると物を取るのも不自然な感じで、脇見でまくりで仕事の一つ一つがぎこちなくて酷かったです。
接客すれば赤面にキョドりで酷いし。
数日間は人や居酒屋の慣れない大きな音さえも耳に残って頭の中がうるさくて中々寝れなかったくらいです。


僕は引き篭もってる間、幾つかの神経症サイトは見たし、自分なりに神経症に対する考察をしていて、なんとなくですが治療に必要なものを察していました。
その中の一つが、爐箸砲く動く事”つまり、動物に戻る事。
自己視線を始め数々の神経症は、勿論人によりその原因は様々で、例えば精神的に何か酷いショックを受ける経験をしてそれが原因で発症する人や、自分を精神的に追い込むような何か苦痛な生活を続けた人などもいるでしょうけど、多くは僕のように毎日ただ一人で篭って不健康な生活を続け、動物を辞めてしまった人間が患うものだと思うんです。
そういう人間は、体も心もまずは健康な状態に自分を戻してやる必要があります。

そしてもう一つは、人と接する事。
コミュニケーションを取り、人と沢山会話する事。
時には悩み相談。時には下らない会話。
カウンセラーも対話を重視しますが、人の心には人との対話がとても効くからです。
話す、という事はとても重要です。
会話は心のストレッチなんです。心の凝りを解す効果があります。
何より、自分一人のおかしな殻から抜け出し、健常者(こういった表現も不適切ですが)の状態に感化されていく事出来るので、これはとても大事です。


それで、居酒屋というのはその両方に効く良い場所だと思ったのです。
良く動くし、暇な時は良く話すでしょ?
お客さん(他人)とのコミュニケーションも良く取るし。
それに、僕の受けた居酒屋は最近多い個室居酒屋で、お客さんの目というか自分の視線が気にならない。
これなら働けるって思ったんです。


それで、とにかく頑張って一年続けました。
丁度、凄くよく話をする子がいて、その子とは本当にペチャクチャ話しました。
最初は、話すのが嫌だったけど(僕は人と話すのが好きじゃなかったから)けれど、僕に取ってその子との会話はとても治療になったと思ってます。
沢山笑ったし、沢山人生についてなども話したし。

ずっと引き篭もって暗い精神状態になってた僕は、自分がどれだけダークな精神状態なのかっていうのに、気づいてませんでした。気づかないもんなんです。その状態が普通だから。
けど、神経症患者の人たちは、まずそこに気づくべきです。
健常者から見て、どれだけダークでジメジメしてるのかという事に。
ジメーっと、自分の神経症についての暗い話ばかりしていては、一向に良くはなりません。
自分の過去だの、家族だのなんだのに原因を見つけ、あれが悪かっただのああすべきだっただの、過去の自分を癒してどうだの、そんな療法に拘る時間があったら、外に出て、下らない話を沢山して下さい。
下らないコミュニケーションを沢山取り、沢山笑って下さい。
最初は、それが僕はとても嫌でした。
バカ騒ぎが嫌いだったし、お酒の席でも全然楽しめないし。
「自分はこんなにシリアスな問題を抱えてるのに、みんな気楽でいいよね」みたいな捻くれた視線でいつも見てたからです。「自分はこんなにバカにはなれない」みたく。
けど、そんな事を思ってるうちは治りません。


一年居酒屋を続けましたが、実際その一年は本当に大変でした。
辞めたい事も沢山あったし、向いてなかったし。
けど、何とか続け、神経症も大分軽くなり、職場にも慣れ、嫌な先輩もいなくなり自分が上になって職場の状態が良くなった頃に、僕は次の仕事に転職しました。
一段階クリアしたので、次にいったのです。
一番の理由は、お金でしたけど。
自分の夢の為には、もっと稼げるところでなければならなかったからです。

それで移ったのが、パチンコ屋です。
それを受ける時も、物凄く怖かったし不安も沢山ありました。
けど、思い切ってまた飛び込みました。
その面接もそりゃあもう必死に受けました。
僕が出来る仕事なんて限られてるから、落ちてもまた他があるさっていう人とは違う。
必死に受けたら、友達が落ちて僕が受かりました。
頑張ってみるもんです。

受かったのはいんですが、そこで一番困ったのは、休憩時間でした。
テーブルを長椅子が囲んだ状態で、何人も座って休憩を取るんです。
しかも一時間に一回くらいの勢いで回ってくる。
自己視線と脇見が酷かった僕は、最初は本当にどうしていいか分からなかったです。
居酒屋の時は、立って談笑するのは出来たけど(人か視界に入ったら立ち位置変えればいいから)何人も座って話すのは無理だったんで、ご飯も一度も取らなかったんです。

なので休憩時間はいつも隅に座り、いつもみんなとは逆の壁の方向に目をやってました。
そんなんだから感じ悪いし、余計に打ち解けれない。

あと、朝礼と終礼。
みんな並んで、上司の大事な話を長々を聞かなければならない。
上司の話だから明後日の方を向いてるわけにいかないし、本当にこれは最初困りました。
いつも隅の場所に立ち、上司がこっちに目をやった時だけなんとか見返して相槌を深く打って、毎日その繰り返しで乗り切りました。

それもあったし、スロットの目押しも最初は困りました。
お客さんにの目線の高さで横に並んでスロットの絵柄を揃えなければならない。
ただでさえとても難しい事なのに、脇見でまくりで集中できなくて何度も失敗し、客は苛々で上司の目もキツいしで、辞めるしかないのかなとまで悩みました。
けれど、人間追い詰めれらるとなんとかなるもんですね。
絶対に失敗できないと思ったら、目押しに集中できるようになり、お客がどうとか脇見がどうとか考える余裕もなくなり、実際に脇見も出なくなったんです。
一日何十回もあったというのも、気にしなくなった理由かもしれません。

で、ここでも一つ、僕は逆に治療になると思った事があって、それは休憩時間のコミュニケーションです。
居酒屋以上に、ホントにタイマンで色んな人と話さなければなりませんでした。
休憩中は二人きりだったり三人だったりなんですが、コミュニケーションタイムって感じだったので。
けれど、話す事を強制でもされない限り、僕は自分から人とコミュニケーションを進んで取らなかったと思うんで、これは良いきっかけでした。
それもあったし、ここでは毎日のように人と食事に出かけて話したりしたし。
何より、仕事が大変でした。
レベルの高い接客を要求されてたんで、毎日自分の仕事を必死にやるので精一杯で、神経症について悩む時間なんてなかったです。
帰ったら疲れて寝てしまってたし。

他の事で悩む、というのは、凄く大事な事です。
社会に出たら、嫌でもいろんな悩みが出てきます。
仕事もそうだし対人関係や恋や・・。
そうなってくると、神経症を考察したりその事を悩んだりしてる時間がなくなるし、そんな事忘れます。


ここは対人関係も難しかったし、仕事自体居酒屋よりもっともっと大変な一年でしたけど、その一年が僕を変えました。僕を強くしたんですね。
最初は過呼吸が出たりしたし、倒れた事も何度かありましたけど、
それも全くでなくなりました。
冒頭で挙げた殆どの神経症は治り、今では脇見だけです。


二年前の僕からみれば、想像も付かないくらい、劇的な変化です。
一番嬉しいのは、人が沢山いる場所でも問題なくなった事です。
電車や、みんなでの食事など。
今では全く平気です。
以前は電車の中で目を閉じてても周囲の意識が気になって、外に出るだけでヘトヘトに疲れまくってました。
ホントに、どんどん良くなってます。
家族とテレビを一緒に見れるようにもなりました。
ただし、位置的に自分がちょっと前にいないとダメですけど。
人といれるようになれば、それが治療になりどんどん良くなります。
とにかく人といるのが大事なんです。
けれど神経症の人は神経症だから人といれない。いれないから治らない。この悪循環。


パチ屋での休憩時間も、最初はいつも隅に座り明後日の方を見てたのに、最後の方はみんなの真ん中に座り脇見とかなく談笑できるまでになりました。
大事なのは、やっぱり精神状態なんです。
人の中に楽しく入れるようになれば、神経症なども治るって事が分かりました。
それには、心を開いていかなければなりません。
心から、人を好きになり、人との時間を楽しいと思えるようにならなければなりません。
心の凝りを解す事が、治療になるんです。
そうやって人と心から楽しく会話するには、自分は神経症だっていうダークな悩みが心根にあるうちは無理なんです。
けれど、会話しなければ凝りは解れない。
この不可能な数式を解くには、事実今現在神経症中であっても、その事を一旦全く忘れて気にしないで、人と沢山接する必要があるという事です。





脇見が完全に治ってないのにここでそれ以外の治療を話しても無意味かと思われるかもしれないですが、
僕が言いたいのは、社会には出れるし、問題なく生きていけるし、絶対に良くなっていくという事です。
出来ない事も出来るようになってくるんです。


神経症になる人間は、ほかでも言われてる通り、優しく神経質で頭が良くて繊細で・・というのも確かにそうだと思います。
けれど、ネックになってるのはそこじゃないんです。
優しいとかそんなの別に、それが理由かと言われたら、理由ではない。
自分は優しすぎて繊細すぎるからいけないんだ・・とかって感傷的になってる人がいたら、「いやそうじゃないよ」、と突っ込みたい。
神経症の人がネックになっていて治さなければならない一番の性質は、

『甘くて、弱い、心が硬い』

という部分です。
自分に甘くて弱い。
それが一番の神経症の引き金です。
それを、優しくて繊細と捉えてるのならばそれは違う。
自分一人でもし生きていかなければならなかったら、貴方はそうして神経症がどうとか言って引き篭もってられますか?
今貴方の生活を支えてるのは誰ですか??
貴方の両親は、意味の分からない貴方の引き篭もりにとても困って心配している。
けれどどうする事も出来ずそっとしたまま貴方の生活を支えてる。
けど神経症患者の人は、「自分はとても今困ってるから、仕方ない。両親の事まで考えれない。両親は自分がこうなった原因でもある。」
と思ってる。
それどころか、死ぬ事すら考えたりしてる。

それがとてつもなく甘ったれた自分本位な考えであるという事にまず気づかなければなりません。
全く持って優しい人間の思考回路ではないです。
もし「貴方一人で今日から生きていきなさい」とポンと何も無い所に放り出されたら、貴方の神経症は治るでしょう。
神経症とかそんな事言ってる場合じゃなくなってがむしゃらに生き始めたら、治る、という事です。

そこに神経症を治す鍵があるという事です。
治すにはまず、生きる事に必死になる必要があります。
治すことに必死になるのではなく、健常者がそうなように、生きる事に必死になる必要があるんです。
必死というのは、自分にムチを打つ事だけを言うんじゃないです。自分を追い込むだけでもない。
他の人と同じように、自分の将来に胸を躍らせ、夢を持ち、それに向かって真っ直ぐに突き進んでいく。その為に言い訳なんかしてらんない。
という事です。

けれど神経症患者の人は「まず治さないと何も出来ない」と考えます。
そうじゃないんです。まず、神経症を横にどけて人生を立て直す事を考えてみる必要があります。
他のスレッドで仰ってる人もいましたが、僕もその通りだと思います。


神経症真っ只中だった僕は、とてつもなく弱くて甘い人間でした。
周りへの感謝の気持ちも何もなかったし、自分が大事な命を与えられて生かされているんだという認識もなかったです。
今だから分かる事です。
社会に揉まれて、暖かさや冷たさ、楽しさやつまらなさを沢山経験して下さい。
人と沢山関わる中で、神経症は治っていきます。
人生ってどういうものかが、分かってきます。


そして一番大事なのは、人間的魅力を持つ事です。
僕が魅力的な人間だって言ってるんじゃないですよ・・。
そうじゃなく、明るく楽しい人間でいる努力をする必要はあります。
無理に自分を作るのではなくね。
明るく楽しければ、人は寄ってきます。
自己視線や脇見が多少あっても、それで嫌われるという事は全くないし、そんなに相手も気にしません。
対人関係と神経症は関係ないと考えて下さい。
それが理由で人に嫌われると思ってるのならば、それは神経症を言い訳にしてるに過ぎません。

神経症についてドロドロ悩んでる事で暗い人間になり、ますます人が寄り付かない、という事もあります。
そういう悪循環に陥らないよう、魅力的な人間でいて下さい。笑顔を忘れないで下さい。
対人恐怖症と、対人関係を築くのが下手なのはまた別問題です。
後者の問題は、生きていく中で多かれ少なかれ健常者でも悩んで手探りで上手くなっていくものです。
それは、神経症を言い訳にせずに自分で成長していくしかないと思います。
僕が見る限り、日本人の多くは対人関係を築くのが下手ですよ。
みんな下手だけど頑張って築いてるものです。
けれど神経症の人は、それを理由に頑張らない。何をするにもそれを言い訳にし、神経症だからダメでしたと結論を出して引き篭もる。

人に嫌われない人間になる事を考えるのではなく、人に好かれる人間になる為にどうしたらいいかを考えて下さい。
それは健常者だって考える当たり前の事です。
嫌われない人間になるにはどうしたらいいかと考えるから、⇒神経症を治すしかない
と考え、⇒無理⇒人と接すれない⇒社会に出れない
という自己完結で終わってしまう。

もっと器用になって下さい。
それが強くなるという事だと思います。
そして、まず神経症を忘れた上で、自分のやりたい事を普通に考えて下さい。
思いついたらそれに向かって突っ走って下さい。
夢は何よりも強いです。
嫌な事辛い事があっても乗り越えれます。
夢を持ち、そして生きる事にもっと真剣になって下さい。
生きていかなければならないと思ったら、神経症がどうのとか言ってられないはずです。
自分は神経症だからあれが出来なかったこれが出来なかったなどど決して言い訳しないで下さい。
やりたい事があったらあきらめないで、遠回りでもいいから確実に夢を叶えて下さい。

やりたい事が思いつかなかったとしても、自分の人生くらい自分で面倒見て下さい。
親に心配をかけながら食べさせて貰う事が恥ずかしい事でとても自分勝手な事だと気づいて下さい。
田舎にいけば月7万くらいでも生きていけます。
それくらい、警備とかのバイトでも稼げるはずです。
神経症は言い訳になりません。



本当の絶望とは、自分に対し“出来ない”と結論を出す事です。
出来ない事なんてありません。
“やらない”だけです。
甘えこそ、自分の首を絞め自ら絶望へと追い込んでるのです。



最後に。
僕が以前この話を某所でした時、殆どの人が耳を傾けませんでした。
「君と僕は病気のそもそものレベルが違うよ」と言われたり、
ただ慰めあうだけ、愚痴や辛さをこぼし合うだけを望んでる人が殆どで、本気で治したいと思っている人のいなさに驚きました。
犲った”とか猯匹なった”と言ってる人たちの方法はみんな、実践的なものが殆どで、明日すぐに治る魔法みたいな、簡単なものではないはずです。
だからなのか、耳を傾ける人間は少ない。
自分とはここが違うと差異を探したり、君は治る素質があったからたまたま出来たんだ、運が良かったんだよと、勝手に卑屈になったりします。
これだから神経症患者は神経症なんだって、思いました。
その弱さ甘さ卑屈さこそが神経症に陥る一番の理由なんです。

本気で治したければ、自分に厳しく、時には優しくなって下さい。
そのバランスを上手く取る事が大事です。
甘すぎても厳しすぎてもダメ。
最初は大分甘やかしながらでもいいです。
あんまり無理をすると過呼吸になったり他の病気が出始めてしまうんで。
でもそのうち、大分厳しくしても平気になってきます。
強くなってくるんです。


普通の当たり前の健康な生活こそが、治療なんです。
それが出来るようになったら、体を鍛えて、習い事でもして、より健康的な生活を心がけて下さい。
パソコンだのテレビだのゲームだのばかりやってるうちは、良くはなりません。
それを言ったら「パソコンやゲームばっかやっててもならない人間はならないじゃないか。そんなの関係ないんだよ」と言う人がいます。
これは屁理屈以外のなんでもないです。
神経症は精神の病気です。病気が治ったら健常者と同じ事をしてても構いません。
けど、患ってるうちはまず治す事をしなければなりません。
グダグダな精神の人がグダグダな事をしてて良くなるわけがありません。

自分の精神はとても病んでる、で終わりじゃなく、病んでるからその治療をしようと考えて下さい。
神経症患者の不思議な所は、自分達は病気だとやたら主張するわりに、“治療”という概念がすっぽり抜けてる。
考え方を変えようだとか、過去のトラウマを消そうだとか、そういう事にばかり一生懸命になろうとする。
ああしてみようこうしてみようじゃなく、治療しなきゃならないんです。
精神が病んでるんです。
病んでる精神を治すには何が必要か。
健全な肉体作りと健全な思考形態作り。そして健全なハート作りです。
神経症患者はこの三つ全部がダメです。
重症な人であればあるほど。

社会に出る事が何故治療になるかと言うと、仕事にもよりますがまず動く事で健全な肉体を。仕事で頭を使う事で健全な思考回路を。そして人と接する事で健全なハートを作る事が出来るからです。
これは幾ら一人で部屋に篭っていても作れないです。
むしろどんどん悪くなります。

うつ病の人などは精神が病んでるという自覚が強いですが、脇見や自己視線などの神経症は“対人恐怖の一つ”であると考える人や、思い込みの脅迫観念に縛られた恐怖症だと思ってる人が多いです。
けれどそれは違います。
一理ありますけど、それが根底ではないんです。
精神が病んでしまった故起きているんです。
病んだ原因は人それぞれでしょうけど、いずれにせよ多大なるストレスで病気になってしまってるんです。
それらが治ってきた時、自分の精神がどれだけ病んでいたかが分かります。
どれだけドロドロジメジメしていたか。
その時は別に病んでるとは全く思わないけど。

天は自らを助くるものを助く。
僕の好きな言葉です。
自分を本当に助けるには何をしてあげる必要があるのか、それを真剣に考えて下さい。
甘やかすだけじゃないはずだし、追い詰めるだけでもないはずです。



色々やったけどダメだったという人は、やり方がまずかったんだと思ってください。
頑張って社会に出たけどダメだったという人は、じゃあ出来る方法でまた出直して下さい。
全く人がいない仕事だってあります。警備や、一人で突っ立ってるカウンターや。
そっから始めたっていいはずです。
そうやって少しずつ社会に出る事が何より治療になるんです。
それをクリアしたら、次はちょっと人がいる仕事について下さい。
全く人がいない所にいるだけでは治らないです。多少はリスクある状況に置く必要があります。
大きなリスクを背負えば背負う程、人の中に入れば入る程、治りは早いです。
でも無理な状況に置き過ぎると、逆に病気を意識しすぎてしまって悪化してしまいます。
その辺は自分で考えて職業を選んで下さい。


自己催眠みたく、「こう考えたいい、ああ考えたらいい」という方法でよくなる人もいるかもしれません。
けれど、元々プラス思考が苦手でそうなってる人が殆どなわけですから、僕としてはそれは多くの人には一時的な暗示にしかならないと思います。
ちょっと良くなったような気になるだけだと思います。
暗示をかけるのに必死になってるより、ただ社会に出て毎日を生きていれば、気づいたら良くなってると思います。



という事で、大変長くなりましたが終わります。
自分のサイトでもないのに長々と語り失礼しました。
もっともっと細かく分析すればお話する事はいろいろあるんですが・・。
上の話だけでは「何を根拠に言うんだ」と思う方もいるでしょう。
一つ一つの事に対し細かい説明をしだしたら幾らでもあります。
けどとりあえずこの辺にしておきます。

この書き込みは、勝手にコピペしてどっかに貼ったりしても全く構いません。(無断リンクはダメだと思いますが)
困ってる人や絶望してる人がいたら、「こんな治療あるみたい」と教えてやって下さい。

絶対に、神経症は良くなります。
希望を持ってください。
脇見については僕もまだ手探り中ですが、完治する方法を絶対に見つけてみせます。

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記事日時: 2007/6/13 05:32    記事の件名: 脇見めちゃ軽減しました 引用付きで返信

なんだか勝手な一人語りになってますが、書き残す事だけはしておきます。
「参考になんね」「自分とこの人は違うから」と思う方はスルーして構わないです。

せっかく良くなってるから一人でも手助けできればと思うので、とりあえず残しておきます。

この間とある検定を受けてきたんです。
今まで試験なんて不可能って思ってたのですが、ようやく受けれる状態にまでなりました。
学生時代は教室で目を開けてる事すら出来なかったのに、真ん中の席で全く問題なく前を見れてる自分に驚きました。

物理的な方法と心理的な方法があるんですが、物理的な方法は、他でも言ってる人いたかもしれないですけど最近流行ってる耳にかける横の部分にやたら幅のある淵眼鏡です。
あれをかけてたら自分自身が横殆ど見えないので、まずそこで大分気持ち的に楽です。

もう一つは完全に心理的なもの。
色々と、自分の精神に良い事はしてきたし、大分脇見も出なくなってきてたので、後は気の持ちようも大事だなと思って心理改善を実践してみました。
僕の場合、治ってきてるけど過去のトラウマで立つ事が出来ないリハビリ者みたいなもんだったので。

それで僕が成功した方法は『逆ギレ法』です。
つまり、「何見てんだよ!?」と例え相手に不快に思われたとしても「はぁっ?自意識過剰じゃね?見てねーし!」という大きな態度で堂々としてる、ものです。

そもそも、脇見患者の人が何故、周囲の人間にキレられたり不快に思われなければならないのか、と疑問に思ったのです。
相手が不快だとキレたとして、「見られてる」と思うその相手だって自意識過剰だとも思いませんか?
こっちは見てるつもりはないんです。だったら、「見てない」と堂々としていればいい。
けれど脇見患者は「相手が可哀相・・メソメソ」とか「申し訳ない・・オドオド」とか「キモイって思わないで・・ビクビク」「睨まれた・・・ビクビク」
という弱気な態度で萎縮しきってます。
実際僕もそうでした。
「ごめんなさいごめんなさい・・」といつも心の中で謝ってましたから・・。
それにより、「脇見を止めなければ治さなければ・・」と強く念じすぎ、むしろ相手を意識しすぎてしまうという悪循環に陥ってます。

それで最近は脇見が出始めたら僕はむしろ堂々と、強い気持ちを持つようになりました。
つまり、相手の苛立ちに押されたり弱気になったら負け。
相手にキレられる筋合いはないんです。
だって見てないんだもの。
見てるつもりないんだから、自分は全く悪くない。
見られてると思う相手が悪い。
こっちが堂々としてれば、相手も「自分の勘違いか。自意識過剰か」と思うようになります。
こっちがいかにも弱気な態度をしてると、相手も大きな態度で出てきます。
中には舌打ちされたりする人がいるのはそういう人だと思います。
見てる相手が怖いやっさんだったら、舌打ちなんかしないでしょう。
むしろその人の方が見られてる事に萎縮するはずです。
別にやっさんみたいに振舞う必要はないですが、舐められない態度で堂々としていれば、何も怖くないし何も苦痛じゃない、という事が分かりました。
もしキレられたらキレ返してやればいい。
何もこっちが萎縮する必要ないんです。

発症してるしてないは全く問題ないんです。
発症してたとしても自分が苦痛じゃなければ発症自体別に問題ないんですから。


「相手を不快にさせて自分は全く知らん顔なんて人として酷い」って思う人もいるかもしれないですが、人生ってそんな生易しいもんじゃないと僕は思うんです。
奇麗事だけ並べてても、何も出来ないんじゃ意味がない。それは結局、優しい人間なんかじゃないし、正しい人間でもない。
別に人を蹴落として進んで行く必要は無いけど、一時期不快にさせちゃった人には、ゴメンねと心の中で謝っておけばいいと思うんです。だってその人にとっての不快は一時期なんですから。
僕らは、人生かかってるんです。


試験に備え、そういう強い気持ちで人と並んで外で勉強したりしてみたんですが、そしたら脇見が出ることなく勉強が出来たんです。
いや正確には実際出てたのかどうかは分からないです。出てたのかもしれません。
でもとりあえず、僕自身が全く気にしなかった。気にならなかった。
隣の人間が咳払いをしたりこっちを睨んだりしてたかもわからないですが、僕は集中してたんで気にならなかった。
実際、隣の人間も気にしてなかったと思います。


それで、検定を無事受ける事が出来ました。途中脇見が出て集中できなくなったりもしたけど、なんとか自分を取り戻して試験に集中しました。
集中力も大事だなって思いました。
隣の人がどうだったのかは分からないです。
もしかしたら僕のせいで集中できなかったかも分からない。
けど、「運が悪かったですね。でもそれで気が散って落ちたならまだまだ貴方も甘いんで次頑張って下さい」くらいにしか思わないようにしてます。
それくらい強い気持ちを持つのが大事だという事が分かったので。


神経症患者は、何よりも健常者より格段に気持ちが弱いんです。
脇見というか自己視線の逆バージョンの、他者視線で悩んでる神経症患者がいる、という事がそれを表してます。
「見られてる・・」とビクビク萎縮する人間だっているのに、何故僕ら脇見患者の人間に対して健常者はキレたり露骨に不快な態度が出来るのか。
もし僕らが逆の立場でずっと見られてたらどうです?キレるでしょうか。睨んだりしますか?
多分、「何故見られてるんだろう・・」と萎縮して下を向くでしょう。
常に、劣勢の気持ちで外の世界の人間と関わっている証拠です。

確かに優しいとも言い換えれます。
でも、強さがなければその優しさは全く意味がないし使い物にならない。
もっと強い気持ちを健常者と同じように持たなければならないんです。


そして脇見患者の特徴として、人から嫌われる事否定される事拒絶される事を極端に恐れてます。
健常者ならば、舌打ちされても睨まれても「なんだよあいつ」ってむしろこっちの気分が悪くなる程度で、そんなにトラウマになる程気にしないはずなんです。
けれど、もうそれが怖くて怖くて仕方ない。
二度と外には出れないとすら思ってしまう。
「また嫌な態度されたら・・」と恐怖に足がすくんでしまう。
それは拒絶を極端に恐れてるからです。

では何故そこまで極端に拒絶を恐れるのか。
きっと深層心理的に検証すれば、個々に色々理由はあるんでしょう。
何か過去のトラウマかもしれないし、親の愛情がどうとか、苛められた経験がどうとか、色々あるかもしれません。
僕にも思い当たる節は幾つかあります。
でもそんなのもう、言い訳でしかないんです。
人のせいにしてないで、乗り越えなければならないんです。

人は、恐れるものほど自然と引き付けてしまいます。
怖いと思ってるから怖い結果が出るんです。
何故ならば経験というのは実感でしかない。
同じ経験をしても、それを恐怖と感じる人と、特に何も感じない人がいる。
恐怖というのは体験ではなく心の状態でしかないんです。
ならば恐怖を恐怖と思わないようになればいい。
それには、「何故怖いのか?」という疑問を自分で解決しなければなりません。
何故人の拒絶をそこまで怖がるのか。
そして克服するにはどうすればいいのか。

克服する為には、何でもやって下さい。
普段から人に嫌われてばかりいるから、という事がその人に取って拒絶を恐れる理由ならば、好かれる為にどうすればいいのか、考えて行動して下さい。
自分に自信がないから、というのが答えならば、自信をつけるために必要な事をやって下さい。

けれど、最終的には「別に嫌われたっていいじゃん。分かる人が分かってくれれば」という開き直りが一番いいと僕は思います。
そして、自分自身が自分を肯定してあげる事。
自分が自分を愛してあげる事。
それがとても大事です。
脇見な自分を肯定するとかじゃなく、自分という人間全てです。頭のてっぺんから足の先まで。心の奥底から表面まで全部です。
そうすれば、他人の否定は気にならなくなります。
睨まれても舌打ちされても「あーごめんねー」とヒラヒラ軽く手を振る気持ちで外の世界と触れていればいんです。

実際、電車の中で今でもたまに隣の人間にチラって確認するように見られる事はあります。
けれども、「なにか?」という普通の顔でこっちもきちんと顔を向けて見返してやるんです。
そうすると、相手がまたチラチラこっちを見てきたりはしなくなります。
向こうがむしろ、「チラ見してすみません」という気持ちになるからです。

だから、実際脇見が発症してるかしてないかは問題じゃないんです。
出てようとどーでもいいよと全く自分が気にしてなければ、それが悩みにすらならなくなるんです。


ただ、以前の僕は“気の持ちよう”とかいう次元ではなく、目を瞑っていても隣の人間に意識がいってしまってどうにも出来ないというくらいに酷かったので、まずそこを抜けないと幾ら気持ちを強く持っても無理だと思います。
その方法は以前書いた通りです。



“完治する事を望んでるうちは、完治しない。”
“脇見を人生が上手くいかない理由にしてるうちは、一生脇見は治らない。”
僕が身をもって確信した事です。

受け入れて、受け流す事。
それが治癒への道です。


そしてもう一つ。
感謝して下さい。
生まれてきたことに。生きている事に。
育ててくれた親に。

人生がいかに貴重であっという間かという事が分かれば、脇見がどうとかウジウジ悩まなくなります。
もっと他に頭を悩ませなければならない事がある事に気づくはずです。


また長くなってしまいましたが、一人でも良くなる事を願ってます。
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ポスト



登録日: 2005.10.13
記事: 55

記事日時: 2007/6/19 23:55    記事の件名: 引用付きで返信

初めて読ませていただきました。
とても前向きで、的を得たご意見だと思います。
会社での脇見や対人関係に悩んでいましたが、
少し気が楽になりました。
ありがとうございました。
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SIN
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/2 01:58    記事の件名: 引用付きで返信

>ポストさん

いえ、僕は経験を書いただけなので、少しでもお役に立てたら嬉しいです。
大変だと思いますが、必ず良くなります。
気持ちを強く持って頑張ってください!
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未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/3 13:40    記事の件名: ありがたい言葉、ありがとうございました。 引用付きで返信

感動しました。ありがとうと心から言いたい。
俺も脇見になってもう7年目。もう大学4年になりました。

俺の場合は、周りからよく見られたいという気持ちが本当に強いので、
脇見のことなど周りにはただひたかくして生きてきました。

経歴だけを見れば、国立大を出、来年からは銀行マンで、
順風満帆に見られてますが、常に人生は脇見との戦いでした。

それを隠しながら、明るく生きていくのは、時には本当に辛いことでした。

是非、あなたと一度会ってみたい。
もしよければ、メールください。

ちなみに俺は、大阪在住です。
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未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/3 13:42    記事の件名: 引用付きで返信

俺のメアドは、hirotohitoro@yahoo.co.jpです。
もしよろしければ、メール下さいな。
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SIN
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/12 06:47    記事の件名: 引用付きで返信

>Hさん
初めまして!
脇見でありながら大学を卒業したなんて、本当に凄いですね。
脇見を持っていたら講義を受けるなんてどれだけ苦なものかは痛い程分かるので、本当に強い意志と勇気をお持ちの方なんだなって思いました。
僕はどちらかと言うと、脇見を理由に人生をあきらめてしまってる多くの人たちに勇気と希望を少しでも持って欲しくて言葉を残したので、大学を卒業されて銀行マンになられる方なら僕の言葉なんてとてもちっぽけなものだと思うのですが・・少しでもお役に立てたなら嬉しいです。

お会いしたいと言って頂けるのはとても嬉しいのですが、僕は北海道に住んでまして・・(笑
それもそうですし、当事者にしか分からない同じ苦しみを持ってる人と話してみたいって思う気持ちは僕もあるんですが、僕は脇見と向き合う事が一番治療に良くないと考えてるので、申し訳ないですが直接お話するのは・・すいません。。

残す言葉を残したら、この手のサイトにも戻っては来ないつもりでいます。
完治の方法などは見えてこないですが、治療法は自分の中で確信してるのです。
こういうサイトを巡ったり、同じ患者と脇見について話したりする事自体が悪化に繋がると考えてるので、正直な所こうして来る事自体、躊躇してしまう所があるのです。
でも、神経症真っ只中だった時の地獄を思い出すと、良くなる方法が見えてきたからって地獄の渦中にいる方々を残して自分だけが「一抜けた!」と姿を消す事がどうしても出来なくて、脱出方法だけ残して去ろうと考えてる次第なのです。
あとは僕の治療法を信じるか信じないかは読んだ方次第だと思うので。

と、そういう考えなもので・・・、すいません・・。


Hさんは人生ときちんと向き合ってる方のようなので、きっと発症の原因はまた全く別な所におありなんだと思います。
心をじっくり見つめなおしたら、何故そうなってしまったか、その理由が見えてくるかもしれませんよ。
とても強い方のようなので、絶対に良くなると思います。心より応援してます。
書き込みありがとうございました!
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未登録ユーザー






記事日時: 2007/7/12 08:19    記事の件名: 引用付きで返信

また、大きな進歩があったので書き残しておきます。
あと、脇見に対する具体的な僕なりの見解も書いておきます。

こないだ、職場の人たちと大勢でカラオケに行ったんですが、全く発症せずに楽しい時間を過ごせたのです。
今まで僕は、カラオケに行くと人が視界に入ってしまうから曲の本を見たりして、歌う時も一番隅で一番前で歌うようにしたりしてたんですが、それでも発症してしまってかなり挙動不振でいつも辛い状況でした。
画面が見れない僕はノリも悪くて、いつもなんだか浮いてたんですけど、こないだは後輩が多かったので僕が盛り上げないとと思って、隅どころか一番後ろのど真ん中に座りました。
そして、とにかくテンションあげて盛り上げたんですけど、そしたら全く大丈夫だったんです。
真ん中だから、むしろ全員視界に入るのに、全然気にならなかったんです。

やっぱり、気持ちも凄く大事なんだなって思いました。
気持ちというか、心ですね。
心がガチガチになってると、神経がネガティブな事に全部集中してしまう。
でも、ポジティブな気持ちで開放的になっていると、マイナスな事に神経がいかない。
発症原因の一つにはやはり、心の病も大いに関係してるんだなと思いました。


とは言え、“結局脇見は気の持ちようなんだよ”と言いたいわけではないです。
僕は脇見については気の持ちようとか言う問題じゃなく、一点を両目で見るという事に対しての機能障害のようなものだと認識してるからです。
目というより正確には脳ですね。
脳の状態に何か疾患が起きてるので、物を見る視界の捉え方にも人と違った状態が現れるのではないかと思ってます。

というのは、他の方はどうか分からないですが、発症時期と同じくらいから、僕は本を読んだり画面を長時間見る事が出来なくなってるからです。
具合が悪くなってしまうので、全然見れないんです。
頭がグラグラして、気持ちが悪くなって疲労感が半端ないのです。
酷い時は暫く横になって休まないとならないくらいです。
脇見発症時期くらいから、僕は本が殆ど読めないし、物凄い神経を使うので読みたくもないんです。
こうして文章を書く事は出来ても、ただジッと読み続けるのは物凄い神経を必要とします。

眼科いわく、目というのは両目で物を見てそれを脳が処理してるから、両目の視力に違いがありすぎる僕は(乱視と近視が両方バラバラに強く入ってるのです)、強い度を入れて無理矢理見ても、物の見え方に両方大きさや遠近に誤差があるので、脳が混乱して疲れてしまう、らしいです。

確かにその“両目の誤差”というものは自分でも感じます。
上手く説明できないんですが、昔は物を入り込んで見れたのに、今はただ“なんとか見てなんとか認識してる”という感覚なんです。
今は、入り込んで見れず、視点がおぼつかず、左右に広く散ってしまってる。
集中して見れないんです。
以前は何かを集中して見始めたら周りなんて全く見えなくなるくらい入り込んでたのに、今は集中が出来ない。
人がいなくても、ググっと一点に入り込めないんです。
そういう状態のように感じます。
感じるというか、実際そうだと思うんです。
精神的に集中出来ない状況にあるとかじゃなく、物理的に集中できないと言いましょうか。
感覚でしかないので、上手く言葉では説明できないんですが・・。
それが疲れすぎる理由であり、脇見が発生している原因じゃないかと。
脇見は物理的に発症してると僕は思うんですよね。
両目で一点を捉える脳(目)の機能障害。そう思ってます。
悔しいくらいに物を見る事が出来なくなりました。
今は気力というか気合で無理矢理物を見たり勉強したりしてる状態です。

左右の目なのか、左脳と右脳を繋ぐ何かに問題があるのか。脳に原因があるのか、目が治れば治るのか、そこまでは分からないですが、本来医学的な治療が必要なものだと感じてます。

以前眼科で目の検査をしてる時に、医者が指をあちこちに動かすのを目で追うというのをしたんですが、医者が首をかしげながら「右目が何故か動くんだよね」と言ってたのも気になってます。
どういう事なのかは良く分からないですが・・。

とにかく、心の問題ではないと認識してます。
ただ、心のあり方でそれが緩和されたり、発症してても自分が気にしない状態に持っていく事が可能だというのも分かりました。

けれど、僕が幾ら医学的に問題が起きてると言った所で医学はきっとこれを病気とは判断しないでしょうし、思い込みの神経症としか扱わないでしょう。


色んな神経症がありますが、全ての神経症において、脳の病である、と主張してる方がいますよね。
うつ病でさえも。
それに対して、「何の根拠も無いのにほざいてる頭のおかしい奴」という風に言う人もいますが、僕は脳の病という観点について、違うともそうとも言えると思ってます。

神経症は心の病という人もいれば、意に反して勝手に起きてしまう原因不明の病という風に言う人もいます。
どちらと捉えたとしても、治す方法は見つからないという結論を出して諦める人がいても仕方ないかなとも思うんです。
でも僕はちょっと違う風に思ってて、“ある種の生活習慣病”だと思ってるんです。
だから、治らないとは全く思わない。原因があって起きたと思うから。
思い当たる原因が沢山あるから。

悪い精神の状態を長く続けている事で、神経を患ってしまう。
神経症という字の如く、神経という物質が病気に掛かってしまっている。
それは神経ではなく脳の一部かもしれないし、その辺は分からないですが、心という形の無いものの病ではないと思ってます。
とは言え、結局心に問題があったから発生してるんですけど。

病は気からと言いますが、人間の心の状態が身体に及ぼすものの威力というのは、医学も立証してますよね。
心の状態が悪く、ストレスが溜まりに溜まっていれば、どんなに食生活などが良くても体は病に侵されてしまう。
神経症患者の場合、その侵された部分が神経だった、という話だと僕は思ってるんです。神経なのか脳なのかは分かりませんけど。
いずれにせよ、医学的な解明が一番厄介な部分でしょう。
なんせ、患者の話でしか症状が表面化されない。
癌だの風邪だのというように他人の目で分かりやすく表面化されるものが何一つないんですから。


で、じゃあ医者を頼れないならば、人間には自然治癒力というものがあるんですから、悪い心の状態を治して、免疫力を高め、その病を自分で治してやりましょうよと、そういう考えの下考案したのが、以前ダラダラと述べさせてもらった、“他の人と変わらない当たり前の普通の生活療法”です。
考案というほど大そうなものでもなんでもないですが。

“自分は人と何が違ったからこうなってしまったのか”“何が悪かったのか”そこを個々でじっくり考えて、変えればいい。という事です。
健常者じゃなくなってしまったならば、健常者に戻ればいい。

もしこの神経症が医学的解明が出来たとしても、それは治す薬のない不治の病なのかもしれません。
けれど、不治の病だって奇跡で治る事はある。
人間のその生命力治癒力を信じて、自分で治してやればいいと僕はそう思うんです。

実際色んな神経症は治りました。
本当に脳だか神経だかのどっかが病んでて治療されたのか、それとも思い込みみたいな悪い自己暗示が解けたのか、心がポジティブになっただけなのかなんなのか、それは結局分かりません。
けれども、治ったという事実がある。
あれほど何が原因でなんでこんな状態が起きるのが原因不明で苦しんでいた自己視線やら赤面やらが治ったんです。
だから、僕の考察に狂いは無かったと思ってます。


ただ脇見に関しては、完全に完治させるにはリハビリの為にもっと色々必要になってくると思ってます。
現時点では、強いポジティブシンキングで病を捻じ伏せてる感じです。
捻じ伏せてるというか紛らわせてるというか。
でもそれでもなんでも、自分と相手が気にならなければそれでいいと思ってます。
というか、自分さえ気にならなければ。
別に、ノイローゼになるほど相手を追い詰めてるわけじゃなく一時不快感与えてるだけなんですから。

それもそうだし、脳の病気なんだと思い込むのも危険だと思ってます。
そういう思い込みが、逃げにつながっていつまでも完治しない場合があります。
本当は単なる心の問題かもしれないわけですから。
思い返してみれば、発症する前から横の席にいた人なんかにチラチラ気にするように見られてたような気もしますし、何処見てるかわかんないよねって言われた事も昔ありました。
もしかしたらずっとそうだったのかもしれません。
僕の目の構図上、横にいる人に視線を送ってるように見えてしまう目なのかもしれないです。
でも僕が全くそれに気づいてなかっただけで、たまたま自分が気になり始めて、それが発症という形になっただけなのかもしれない。
本が具合悪くなって読めないのは単純に眼鏡がキツイからかもしれないし。

とにかくあまり“絶対こうだ”とは決め付けない方がいいと思ってるんです。
そういう囚われの心が、完治への道を遠ざける可能性がありますから。


ただいずれにせよ、思い込みだろうと実際に機能障害が起きていようと、それを治す為に必要なのは、健康的な生活なんですよ。
それだけは確信してるんです。
今はなにかスポーツ始めようかなと思ってます。
スポーツやってて友達と良く遊んでる人は発症しない病気だと思うんです神経症って。
治療に効くのはバスケとかそういう球技系でしょうね。目と脳と心には一番効くと思います。

とにかく僕はこのままいけば脇見は治ると確信してるし、もし完治しなかったとしても別にいいと思ってるんです。
だって今はとりあえず生活に困らないまで治ったし、生きていけるし、生きる目的は別な所にあるから。




病に侵されたのには、必ずどなたにも原因があると思うんです。
そこをしっかり見つめる事が出来れば、それぞれ何が必要か見えてくると思います。

また長くなってしまいましたが、終わります。
自分語りが多くて、結局の所治す為に何が必要なのかという要点が分かりにくいので、それを次もう一度まとめますね。
それで最後になるかもしれません。
多分書いたとしてもあと1,2回だと思います。
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ナナオ
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/13 22:00    記事の件名: 引用付きで返信

sinさん初めまして。7と申します。
僕も長い間脇見に苦しめられている一人です。
最初の方に書かれていた、病気に苦しめられるようになる境遇が近い物があったので、引きつけられて読ませてもらいました。
実は最初読んだ時は僕も卑屈になってしまっていて、人生諦めていたので、こんな治し方は自分には無理だと勝手に思って、自分の中で反発してしまっていたんです。
ですが、最近またsinさんが新たに書き込みされていたので、なんとなく読み返してみたら、何故か今度はもの凄く共感出来たんです。自分の心境の変化もあったのかも知れません。
治したい治したいと思っていても、無意識のうちに魔法の様にパッと治る物しか望まず、努力と言う物を毛嫌いしていたのだと思います。
でもsinさんの書き込みを見てから、少し目を覚まさせて貰ったというか、努力してみようかと思う気持ちが少しずつ湧いてきました。
書き込みを見たおかげで、今日は病気になってから今までに無いぐらいポジティブな気持ちで過ごせました。sinさんの方法を参考にして、もう一度再起をかけようと思います。自分との戦いですね。
脇見に悩む一人の人間の、少なくとも一日を救ってくれた事に感謝しています。あなたは凄い!
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シン(SIN
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/14 03:45    記事の件名: 引用付きで返信

>7さん

初めまして!
こちらこそ、嬉しいレスをありがとうございます(^―^)
少しでも前向きになって貰えたら本当に本当に嬉しいです!
僕は神経症で苦しんでる人一人残らず全員抜け出して欲しいって思うし、僕にだって出来たんだから、同じように抜け出させてあげたいって本当に思うんですけど、でもそれは不可能な事だと思ってます。
“治したい”そう心の底から願ってる人はわずかしかいないからです。

心の底から何かを願うという事は、本気になるという事で、本気になるという事は、どんな言い訳もせずなんでもやるという事です。
それは神経症だけの事じゃなく、願望を叶える全ての事に通ずる事だって分かったんです。
本気で願わない人間に神は手を差し伸べない。
嘆いてるだけでは、それは本気で願ってるとは言えないんです。


けれど、皮肉なもので、願望というのはそれにしがみ付くとまた、叶わないもんなんです。
神経症の場合は特にそうで、この囚われの心を捨てる事が出来ず、治療から遠ざかってしまってる人も沢山います。
“絶対に治らないと困る”と必死に色々やったけどダメだったという人もいますが、それは治す為に必死になったからだと思います。
斉藤氏の無為療法では“治す為に何もしない”という事をしきりに訴えてますが、ある意味では当たってると思ってます。
ただし、治す為に何もしないで、じゃあ何をすればいいの?って話になってくる。
作業(雑務でしたっけ)をすれと言いますが、無意味な作業にただひたすら集中すれば、殆どの人は“治れ治れ”とそれこそ必死にならざるを得ない。

神経症から離れるには、健常者と同じように生きればいいだけなんです。
同じようなことに頭を悩ませ、同じような事に胸躍らせていればいい。
神経症を一度全く忘れて、普通に人生を建て直せば、それが自然と治療になります。
この、“意図せず治療になってる”というのがとても大事です。

僕は今脇見のリハビリの為に何かスポーツしようと考えてますが、実際それをする時に「脇見を治す為なんだ治れ治れ・・」って考えながらやっていたら治らないでしょう。
自分の体の為にとか、単純に楽しもうとか、そういう風に考えてやらなければ幾ら頑張っても全く効果無しだと思います。
だから、全く忘れる必要があるんです。
実際それをする時は、脇見の治療と考えずに、他の人が考えるように、健全な精神の為とか自分を磨く為にって考えた方がいんです。


だから、戦わなくていんですよ(^―^)
苦労は伴うと思いますが、それは神経症との闘いではなく、他の人と同じように、人生と戦えばいんです。
努力についても、治す努力という概念はあまり持たない方がいいです。
生きる努力というか、とにかく、それは神経症患者じゃなくてもみんなしてる事なので、同じ事をしてればいんだと考えて下さい。
努力だけじゃなくても、健常者と同じように、暢気にお気楽に人と遊んだり恋人とイチャイチャしたりしてるだけでも十分に治療になります。
ただ、一人ワールドのダークネスな方向にだけは行ったらダメです。


脇見がある故出来ない事も実際出てきますが、「今はこれ無理だからじゃあ出来る方法でやろう」とポジティブに出来る事をしながらちょっとずつ階段昇りながら生きていけばいいだけだと思うんです。
僕は脇見で車の免許取れないからバイクの免許取りました。
バイク乗ってる人はそうそういないから、女の子に「後ろ乗せて乗せて!!」って言われるし、そうやって他の方法を取っていけば、何も脇見に劣等感を持つ必要ないし、生きる上の支障はないんだって分かったんです。


最初はどうしても、頭から神経症の事が離れないと思います。
けれど、色んな人と関わって色んな事をしなきゃならない状況になれば、考える暇がどんどんなくなってって、いつの間にか忘れるようになってきます。
そうなったらもう、治る方向に向かってると思っていいです。



まとめるのが下手なのでなんだかいつも長くなってしまって申し訳ないですが、とにかく物凄く応援してます!!
頑張って下さい!!
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未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/14 18:05    記事の件名: 引用付きで返信

>sinさん

返信ありがとうございます!自分と戦っていたらまた同じ事の繰り返しでしたね。
実は発祥してからずっと精神科に通っていて、今見てもらっている先生もsinさんと同じ様な治療方法だと思うんです。
普通の精神科の先生なら、患者の愚痴というか、こういう事がつらいんだとか、悩みを相談して、薬を出してという、そんな感じの治療をする先生が大半だと思うのですが、今の先生は、最初は症状等を聞いてくれましたが、それからはなるべく症状の事を忘れるだとか、出来ない事を悩むのではなくて、出来る事を伸ばそうと言ってくれます。
あとは、僕が診察室に入ってからの先生の第一声が「泣き言は聞かないよ。」とそんな事を言う先生です。
患者の悩みを聞かないなんて、そんなの大丈夫かなぁと半信半疑でいた時期もありましたが、実はそれこそが僕の進むべき道で、その道に導いてくれていたのかなぁと今になって思っています。
この病気と言うのは、考えれば考えるほど悪化して行く病気だというのを僕自身も実感しているので、sinさん、今の精神科の先生の言う事を信じてこれから余計な事に頑張らずに、大事な事を頑張って行きたいと思います。
大事な出会いっていうのは、現代じゃこんなに小さいパソコンの中にもあるんですね!これがきっかけでもう一度楽しい人生になればな。。。ありがとうございました!
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忍空
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/15 00:17    記事の件名: 引用付きで返信

 はじめましてシンさん、私は対人視線恐怖で30代の男です。
シンさんの職歴拝見させていただきました、パチンコ屋や、居酒屋のバイトをこなされてきたとか。。。。

自分は、人の視線がある所では緊張して目の前のことに集中できず、気になってつい人の目を見てしまうんです。   それで怖がられたり、気持ち悪がられたりで、とても鬱なになり、死にたい気分で仕事してます。       脇見などがあるから、車に人が乗り込むと目を見ないように神経をすり減らして、運転どころじゃありません。(危ないですね)

だからシンさんの言う、カラオケなどのこともよくわかるんです。   こんな自分だから、運送業ぐらいしか出来ないと思い、免許も色々取りましたが、どこの会社にいっても、追い出されるような形で長つつ``きしません。   人のいる所で、どこに目を置いたら良いのかわからないのです。  もしよければ、シンさんの意見を聞かせてください。
ぶしつけな質問で申し訳ありません。
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シン(SIN
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/15 12:26    記事の件名: 引用付きで返信

>7さん

良い精神科の先生ですね!
そういう考えで患者と接する先生は凄く珍しいと思います。
営利目的じゃなく、本気で治したいって考えてるからでしょうね。
いい出会いに恵まれてるという事は、7さんが良い波長を持ってるからだと思います。
きっと上手くいくと思いますよ!頑張って下さい!






>忍空さん
初めまして!

人の視線があるところでは緊張してしまうというのは、分かります。
僕も神経症ピーク時はそうでした。
だから、居酒屋でも最初は人が前にいたりすると緊張してお皿拭くだけでもガタガタ手が震えたりしてました。
けれど今ではそういうのは全くないです。
これは心や性格の問題などではなく、完全に神経が病んでる状態であると認識する必要がまずあります。
人間が苦手な対人恐怖などでもありません。
でも、人と遠ざかってしまっる所に問題があるのもまた事実です。

忍空さんは自己視線もかなりあるようですが、これらを治そうと思ったら、運送の仕事などをしていても治りません。
治そうと思ったら、人とある程度コミュニケーションを取れる所に行かなければならないです。
そしてもう一つは、体を動かす所です。

人とのコミュニケーションが何故治療になるかと言うと、正常な人たちと長くいる事で、正常な精神状態というものを知り、知らず知らずのうちに感化されて戻る事が出来るからです。
おかしくなってしまってる枠から、出る事が出来るからです。
これは幾ら一人で何かを頑張っていても、全く無意味です。
どれだけおかしな状態になってしまってるかが分からないからです。
赤面やら震えやらも、人と喋る時間が長くなればなるほど治ります。自己視線も全部そうです。
仕事が大変で、仕事に100予乎罎靴匿新にならざるを得ない時間が多くなればなるほど、治ります。


あと、“次々と何か作業をする”、“次にする事を常に考える”というのは、神経症にはとても治療になります。
なので、治そうと思ったら、黙って立ってるだけの仕事や、そういう運送などの仕事はお勧めできないです。
何か体を動かす仕事の方がいいです。
僕も治ってきて始めて分かることですが、神経症真っ只中の時は、雑念やら妄想やらばかりが頭になって、思考が停止してるんです。
余計なネガティブな思いばかりが浮かんできて、全く仕事に集中できてない。
けれど、治ってくると、“次何の作業をしようか”と常に次の動きを考えるようになって、無心で動くようになります。
逆に、動いてないと気がすまなくなってくる。
けれど神経症真っ只中の時は、とにかく動けない。
会話も出来ればしたくなくて、億劫。
でも治ってくると、自然と人に話しかけるようになります。下らない事でもなんでも。
家でただパソコンやらテレビやらをしてるのが一番楽しいって思ってる状態から、綺麗な景色を見に行きたいとか、人とどっか遊びに行きたいって思うようになってきます。

これが、“動物に戻る”と言う事です。
人間本来の状態に戻るという事が、神経症から抜ける、という事なのです。



忍空さんが運送会社で追い出される理由はなんですか?
どういう理由で追い出されるのですか?
仕事を失敗するからですか?
態度がおかしいからですか?


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忍空
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/15 14:08    記事の件名: 引用付きで返信

どうもシンさん、私などの為に返信していただいて、とても感謝して」おります。

シンさんのおっしゃる通り、自己視線なので、一人でする仕事をいくらやった所で、楽なだけで一向に症状は、良くなりませんでした。    運送をする上で、仕事以外に、飲み会などで話などのコミュニケーションをする上で、緊張して話の内容などより、自分を普通の人のように振舞えているか、など常に自分に自信がないから、わざとおどけて見せたり、おもしろいやつ、と思われようとしたりしました。

自分流に話を始めると、なぜか緊張して、態度がオドオドし、話の呼吸というか、リズムがかみ合わないんです。     そうこうしている内に、仕事より対人関係を優先するようになり、目の前の作業をおろそかにしてしまい、ミスばかりしていました。

おそらくこれが、嫌われた一番の理由でしょう。    とにかく人が怖くてこわくて仕方なくなったんで、人を見れなくなったんです。

そんな中、変人のレッテルを貼られ、「絶対何かのキチガイや。」などと、上司にも言われたりして、居ずらくなり、自ら6年勤めた運送会社を辞めました。

今は、やはり人に慣れなくてはと思い、半年前から介護の仕事をしていますが、やはり、人を見るのがつらく、それを他の職員も勘つ`いて今は一線引かれています。

分かっているんです。自分が病気だから悪いことぐらい、でも
どうしたらいいか 、全く分からないんです。

話なんてしたくないのに、いつも無理して、職員や、利用者様に話しかけては、いやな空気になり、お互い気まずい雰囲気になります。
いまは、そんな空気になろうがお構いなしに、仕事のみに集中しております。これがけっこう疲れる、週5もつつ``けると、完全にグロッキー状態です。

それでも、迷惑かけつつ仕事にしがみついています。  しごとが終わってからも、ボクシングのジムに通い、週に4回行ってます。  しかしそこでも、陰口を叩かれ「そろそろ追い出しにかかるか。」など、トレーナーや練習生にいわれているんです。


何処へいっても異端者みたいです。。。。正直死にたいですわ。がんばってるのに、必死なのに、なんでこんな病んだ脳みそに生まれたんだろう。   まぁ、いくら嘆いたところで、明日はやってくるから、怖いけれどこの生活をつつ``けるしかないですけど・・・・  ホントに長くなって申し訳ありませんが、これが今のわたしです。
最後まで読んでいただけたら幸いです。   
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シン(SIN
未登録ユーザー





記事日時: 2007/7/17 14:37    記事の件名: 引用付きで返信

こんにちは。
まず、仕事が上手くいかなくなった理由は忍空さんも分かってるみたいですが、神経症が直接の理由ではないです。
仕事をきちんと出来てなかったからですよね。



忍空さんだけじゃなく、他の多くの神経症の方々に言いたいのですが、
よく、神経症が原因で人との関係が上手くいかないとか、仕事が上手くいかなくて続かないと言いますが、直接は関係してないです。

一般の人方は神経症というものをまず知らないので、挙動不審だったりオロオロしてると、単に“ダメな奴”“使えない奴”と思われて終わります。
たとえ病気だと分かっていたとしても、だから仕方ないと寛大に思ってくれる人なんていないでしょう。
例え、挙動不審であってもなんか行動がおかしくても、一生懸命やっていれば人は必ず認めてくれます。
愛嬌があって、人当たりが良ければ、周りや上の人間に嫌われる事もないです。


それを、「こうだから出来ない」と自分に言い訳を作って100佑領呂任笋蕕覆いら、周囲は苛つくのです。
自分なりに一生懸命やってるのに周囲に認めて貰えないと言う人は、“自分なりの一生懸命”だからです。
周囲が求めてるものを満たしてないからです。
そしてその求めてるものに気づく事が出来てないからです。
周りの考えを読めるようになれば、職場を追い出されるような事はなくなります。




僕の社会経験なんて全く浅いものですが、それでも今まで見てきたクビになってる人や職場で嫌われる人たちに共通して言える事は、言い訳ばかりして一生懸命やらない人、空気や周囲の人間の感情が読めない人です。
別に神経症じゃなくても、そういう理由で社会から摘み出されてる人は沢山います。

例えば神経症を患ってるばかりに、仕事がとても不器用だったとします。
でも、だったら上の人間などに、どうすればもっと仕事が出来るようになるのかなど、相談してみるだけでも、見る目は全然違ってきます。
「自分緊張しぃなんで要領よくやれないんですよ・・凄いイヤになります・・」とかって言うだけでもいんです。
こいつはやる気はあるけど不器用なだけだって分かって貰えれば、面倒を見てくれるようになります。
そういう、一歩進んだやる気を見せないから、ただダメな奴と思われて終わってしまうのです。

ただ、神経症だと明かすのだけはダメです。
じゃあ仕事どころじゃないからお前は精神科行けって言われて終わってしまいます。
自分の症状を悟られないように、他の部分で一生懸命フォローすればいんです。

僕も最初はホントに自己視線が出まくりで、かなり行動はおかしかったし、キョドって人に料理を手渡す時に落としてしまったり、沢山ありました。
けれど、とにかく声を出して、一生懸命動きました。
店長に好かれてさえいればクビになる事は無いって思ったんで、休みの日でも頼まれたら必ず出勤して、いつでも呼んで下さいって言って積極性を見せました。
とにかく、神経症だったのからこそ、それをフォローする為に色々したんです。
でもそれは、神経症じゃなくても当たり前にやる事だし、社会を上手く渡っていく為には必要な事だと思ってます。

神経症だから気持ち悪がられるとかって言う人がいますが、それは神経症だからではなく、神経症という事に囚われて物凄く暗い人間になってるからです。
本人がそれを気にせず明るく普通に振舞っていれば、周囲は全く気にしません。


忍空さんの話を聞くところによると、僕は対人関係における問題は神経症以前の所にあると思います。
人にどう思われてるかが分からないから、自信がないから、と仰いますが、では仮に神経症が無かったら自信満々に人と接する事が出来ますか?
神経症とは、挙動不振だったり赤面だったり自己視線だったり色々ありますが、これらはあくまで付属品に過ぎません。
その人の性格や、会話のテクニックや、雰囲気や、そういう人を惹きつけるものと、神経症は全く関係ない所にあります。
神経症があるならば、それ以外の所をカバーしようとすればいいだけなんです。
例えば、とても気の利く優しい人だと分かって貰えれば、周囲の人がそんな風に悪口を言ったりはしないはずです。
人付き合いが苦手で、コミュニケーションが上手く取れない人。でも、根はとても優しいし、自分があって魅力的だ、とかって理解して貰えれば、悪くは言われないはずなんです。
なのに、悪く言われてしまうのは、それ以外のフォローが何も出来てないからだと思います。
優しさが、単なる弱さとしか取られてないからです。

自分がドアを開ける時に人が一緒に来たら、「ああ、どうぞ」って爽やかにニコっとドア開けて先に行かせてあげるだけで、それまで気持ち悪いと思ってた人も、180度印象が変わるでしょう。
悪く言って申し訳なかったなと、思うでしょう。

無理して人と関わろうとしなくても、ちょっと良い面を見せるだけでもいんです。
謙虚に謙虚に振舞って、不器用な奴だと分かって貰えれば、いんです。
そうしてるうちに、人が自然とこちらに対して柔和な態度になってきます。
そうしたら、ちょっとづつ世間話をしていけばいんです。
一言二言でも構わない。
笑顔で、感じよく話せばそれでいんです。
目が見れなかったら、下向いて照れくさそうに、頭掻きながらだっていんですよ。
けどそれには、それまで自分を理解して貰う為に色々しなきゃだめです。

人一倍仕事を一生懸命して、人をさりげなくフォローしたり、ちょっと重そうなもの持ってたら「あっ僕持ちますよ」とか、そんなんでいんです。
とにかく、自分の本当の内面で勝負して下さい。
誠実で優しくて生真面目で気の利く人間を嫌いになる人なんていません。
ただ、そういう人間でいる努力をするだけでいんです。
普段からそうしてれば、人は必ずそれを分かってくれます。

汗掻きながら「あ、いいです僕やりますよ」って感じよく人の仕事をフォローしたりする人間を、嫌いになる人はいません。
何か悪く言われたり叱られたりしたら、どんな理由があろうと言い訳せずに、ごめんなさいとしっかり謝って、二度と繰り返さないように努力する。
そんな風にしていれば、神経症を理由に人を嫌われたりなんかしません。
「神経症だから」と決め付けてる人が多いですが、今一度、それ以外の自分を見つめ直して欲しいです。


以前僕の職場に、とても人とのコミュニケーションを取るのが下手な男の子がいました。
黒ブチ眼鏡をかけていて目立たない風貌で、とても謙虚で礼儀正しい。
会話が下手で、話しかけられても面白くもなんともなかったし常にオドオドしてるけれど、基本的に悪い子ではないなと思って、最初は悪い印象は持ってませんでした。
けれど、その子はとてつもなく要領が悪く不器用で、頭も良くなく、次第に周囲を苛つかせるようになりました。
女の子ばかりの職場だったんですが、そのうち完全にみんなの態度がその子に対してキツく、聞こえるように悪口を言ったりする状況になりました。
ほぼ虐めの状態だったと思います。
けれど、僕はその子をフォローしようとは思いませんでした。
何故なら、言われても仕方なかったからです。

根は優しく良い子です。
けれど、人が求めてるものを理解する事がとにかく出来なかった。
周囲が今何を求めているか、何をしなければならないか、そういうのが分からない人間は、職場にいられても迷惑でしかないのです。
人への気遣いも相当ズレてて、例えばテーブルを片付ける時、拭くことよりも食器を持つ事ばかり「自分やります」と言って持って行く。
自分が男だからもってあげようという気持ちなんでしょうけど、女の子はそんな軽いもの持つ楽な仕事なんかより汚いテーブルを拭いて欲しい。
その割りに彼は重たいものや熱いものはあまり持てなかった。
そう言った具合に、とにかく周囲を苛つかせてばかりいました。

空気が読めなくてもとにかく人一倍一生懸命やってるとか、人の嫌がる仕事を進んでするとかしてればいいですが、その子は何か都合が悪くなるとすぐに言い訳をするし、お客さんの言ってる事が分からなかったら自分で聞いて解決すればいいのに分からないままオーダーを取ってくるしで、結局ただの弱くてずるい人間でしかなかったのです。
人に迷惑をかけるわけにはいかないとか、そういう気持ちがしっかりあれば、「出来ない」では済まされない。
オドオドしてる場合じゃない。
それが出来ない人間は、僕は誠実さに欠けてると思います。
やらなきゃならないものはやらなきゃならないんですから。

彼は優しくも真面目でもなく、ただ弱く、努力をしないだけの人でした。
彼は神経症ではないです。



忍空さんがどうかは僕は知りませんし、本当に必死に仕事をしてたとしたら、こんな言われ方をされたら腹が立つと思いますが、一生懸命というのは“自分なりの”であっては全く意味がないのです。
僕も要領の良い人間ではないし、そういうの凄く下手ですが、周囲の人に良く見せるというのは凄く大事な事で、それは媚びるという事じゃなく、職場を円滑にする為にしなければならない大事な役割だと認識して下さい。
幾らしゃかりきにやっていても、周囲の人たちが「そうじゃないんだよ・・」って思ってたら、全く意味が無い。
「こんなに頑張ってるのに何でだ・・」って自分がただ嫌になってしまう。

人に好かれようと思ったら、おどけたり面白い奴だと思われたりなんていうのは職場では必要ないです。
職場で好かれる人間は、つまらなくても真面目に仕事をする人、人の痒い所に良く手が届く人、気の利く人です。

僕は、学校やサークルなどと違い職場というのは人に好かれるのがむしろ簡単な場所だと思うんです。
人の気持ちを掴むのがあまり得意じゃない人とか、会話に自信がない人とか、雰囲気が明るくない人などは、人と上手くやっていくのが下手でしょう。
けれど、職場内ではそんなものを武器にする必要は全く無い。
要は、助かる存在になればいんです。

神経症の人は、人にどう思われてるかばかり常に気を使ってますが、それは本来とても自己中な思考だと思う必要があると思います。
大事なのは、今人が何を求めているか。
それを、どう満たしてあげるか。
それが思いやりというものじゃないでしょうか。
かと言って、常に相手の求めてるものばかり意識するのもまた、自分が無いに等しい。
自分のやるべき事をきちんと認識して、まずはそれを10佑海覆后
その上で、人が求めてるものまで気が廻るようになれば、それでもう、人と上手くやっていけてる事になります。
「この人いいな」って、思われるように必ずなります。
会話だのなんだのなんて無くても。
全く見返りを求めず、媚びる気持ちを持たずにあくまでさりげなく人をフォローしてみて下さい。
あんまり恩着せがましかったりわざとらしいと、鬱陶しいと思われます。
見てない所でフォローしたっていんです。
「あれ?これだれやってくれたの?」
「ああ○○さんがさっきやってたよ」
てな具合になれば、どんどん印象は変わっていくでしょう。

どんどん人の感情が読めるようになれば、今これをして欲しくないと思ってるとか、人によって、この人はこういうのを嫌がるんだなとか、喜ぶんだなとか、全部分かってきます。
僕は全部の人間に仕事の対応を変えてます。
この人はやってもらうのが好きとか、手を出されるのが嫌いとか、みんなそれぞれ違いますから。
それぞれの仕事のやり方を見てれば、そういうのも分かってきます。
人に好かれる為にやってるんじゃなくて、気分良く仕事して欲しいからです。
自分が何かする事によって少しでも気分が良くなるなら、それを満たしてあげようって言う、そういう気持ちでやってみてください。
好かれたいからとかっていうのはダメです。
そういう媚びる気持ちは全部見抜かれます。
与える気持ちが大事です。

男はやる気を求めます。女は気が利く頭の良い人間を求めます。
それぞれ、対応も変わってきます。
要領の良い人間になってください。
僕に出来たんですから、必ず出来るようになります。

会話というコミュニケーションはその次の段階です。
それ以前の事が出来てなければ、人はその人と話したいとも思わないでしょう。
焦ってコミュニケーション取る必要はないんです。
むしろ仕事の出来ない人間に気安く話しかけられても逆に神経逆なでされます。


介護の仕事なら、人がやりたがらない仕事も多いでしょうし、ストレスの溜まってる人も多いでしょう。
なお更、してあげれる事は沢山あると思いますよ。
それに、元来優しい人が多いはずです。
僕がいたのなんてパチ屋です。
そりゃもう、難しい人間ばかりでした。
でも、どんな人でもみんな根はいい子なんだって分かったんです。
良い子だけど、僕ら程までいかなくてもそれぞれ過去のトラウマや悩みを抱えてる。
そういうのを察知して、「最近元気ないですね」とかって言ってあげるだけでも、かなり違ってきます。
悩み相談に乗ってあげたりしたらもう、仕事できなくても全然多めに見て貰えるようになってきます。




これだけは断言出来ます。
神経症だから人に嫌われるという事は全くないです。
神経症でも人に好かれる事は可能だし、ラブコールを送られる事だってあります。
何故ならば、神経症は神経が病んでしまうくらい、本来繊細で気配りが出来て、思いやりがある人間だからです。
きっとみんなそうだと僕は思ってます。
けれど、その良い部分を出す前に、「自分は神経症だから・・・」とダークネスな雰囲気を常に身にまとい、全く魅力を消してしまってる。
神経症だから自信がないというのは本来おかしいんです。
神経症と自信は全く関係ない。
自信が無いのを神経症のせいにしてしまってはいけません。
上でも言いましたが自信がもてないなら持つ為に何でもして下さい。
何か目標を一つ持ってそれに向かって頑張ってこなしてくだけでも自信はついてきますし。

人の心を掴むのは全然難しい事じゃないんです。
自分がされて嬉しい事をしてあげればいいだけなんですから。

とにかく雰囲気が大事です。
爽やかで明るく、元気でいる事。
髪や服装などの身なりも含めて、爽やかで明るくです。
そして後は仕事中さりげないフォローを欠かさなければそれだけで大丈夫です。


忍空さんは一度、神経症という問題を全くどけて、人とのコミュニケーション術を身に着けた方がいいと思います。
そこまで人との対話が上手くないのは、神経症以前の問題だと思います。
話かけて雰囲気が悪くなるというのは、無理しすぎて痛痛しいのか、全く感じが良くないのかでしょう。
神経症だからとかじゃないと思いますよ。
神経症な自分を気にして相当不自然な状態で話しかけてるから、相手からして怖いんだと思います。

別に、会話なんて無理にするもんじゃないし、ベラベラ長く喋らなくても、普段挨拶だけ感じよくしておけば、あとはピンポイントでちょっとジョークかますだけでも十分人の心は掴めます。
ほんと、ちょっとでいんです。
大事なのは感じがいい事。
感じのいい人間になるには心が大事ですよね。

心を豊かにする為には何か、例えば子供を相手にするサークル系とか、いいかもしれないですね。
というか、介護ならお年寄り相手ですよね。
物凄くいい練習相手じゃないですか。
お年寄りなら、会話が下手だの感じがどうだの雰囲気がどうだのなんて気にしないですから、与える気持ちで沢山話かけてみたらどうでしょう。
それがとてもいい心の栄養になると思いますよ。

良い音楽を聴いたり、良い映画を見たりも大事だし。
普段から心の栄養にいいものばかりとって、悪いものは排除してって下さい。
例え自分がそれを好きでも。
ヲタク系の趣味のものなどがもしあったら排除した方がいいし。
ネットでも、マイナスな会話をする場は避けて下さい。

車の免許持ってるなら、一人で自然の広がってる所に出かけたり、旅行に出たり。
自然を相手にするのはとてもいい事ですから。

ボクシングも凄くいいですね。
カッコイイじゃないですか。
治療にもとてもいいはずです。
なのに治療になってないのは、全然楽しめてないからだと思います。

もし脇見などが出てしまって運動に集中出来ないのなら違うスポーツにするとかした方がいいかもしれません。
もっと動き回る方が、自己視線などは出ないでしょうし。

とにかく、最初の段階では悪循環になってしまうような事は避けて下さい。
ヨチヨチ歩きからでいんです。
最初から無理な事を続けると、逆に悪化してしまいます。

単にコミュニケーションの問題でボクシングの場でいづらくなっているのなら、逆に会話を辞めてボクシングだけに集中するか、それも出来ないくらい居辛い状態なら、思い切って場所を変えるのも手です。
変えるか辞めるか耐えるか、しかないです。
いずれにせよ、自分の精神状態に悪く作用してる状態は避けてって下さい。

逃げつつ、治療しつつ、という感じでしょうか。
様子見様子見で自分の状態と対話しながら、上手く良い状態にもってって下さい。




長くなりましたが、とにかく前向きに捉えて頂けたらな、と思います。
忍空さん、応援してます!!!





忍空さん以外の同じように悩んでる方にも伝えておきたいのですが、
とにかく状態も症状も発症理由も人それぞれです。
症状の度合いもそうですし。
何度も上で言ってますが、自分に何が欠けているのかというのは、自分で気づかなければ完全に良くなっていく事は出来ません。
ただ、その理由を“神経症だから”とか、“不運でなってしまったもの”と考えてしまってるうちは、決して良くはならないでしょう。
自分に何か問題があったと思わなければなりません。
それは、別に怠惰な問題じゃなくても、きちんと真面目に生きていてもなってしまった人もいるかもしれないですが、いずれにせよ心に栄養が行き届いてなかったのです。
その理由を探って、自分で解決していかなければなりません。
幾ら嘆いていても、全く解決にはならないのです。
人はその人の生活状況を24時間監視してるわけじゃないし、心の奥の問題まで分かりません。
自分しか分からないのです。


なんでこんな最悪に難しい状態に自分だけがならなければならないのか、と嘆き、頑張る気持ちも失せてしまうかもしれません。
けど、僕は、全ての人間が幸せになる責任があると思ってるんです。
生まれた以上、幸せになって、そして人を幸せにしなければならないと思ってます。
自分が不幸になってしまったら、人も不幸にしてしまう。
家族にも周囲にもそうだし。
それは結局、周囲への感謝の気持ちがまるでない、とても自己中な事なのです。

何も無い人間は気楽でいいよねって思ってしまうのも分かります。
自分だけがどうしてこんな苦労をって。
けど、みんなそれぞれ、壁があって、それを乗り越えて生きてます。
難しく考える事はないんです。
僕が話した治療法は、別に東大に入れとか軍隊に入れとか言ってるようなそんな大変なものではなく、一般の人と同じ事をすればいいといってるだけです。
普通に戻ればいい、と。
むしろ、忘れて普通の事をしなさいと言ってるんですから、そもそも壁自体存在させてはいけないのです。
ポジティブで健全な精神状態に戻してあげなさいと言ってるだけなんですから。
苦労とか努力とかって考える必要はないし、むしろそんな事をしたらますます気が病んでしまう。
良い精神状態になる方法を、考えて行動すればいいだけです。


さて、治って欲しいという強い思いを詰め込みすぎて疲れてきたのでこの辺で終わりにします。
読んでる人も疲れてしまいましたね。ごめんなさい。



一度治療法についてまとめようかと思いましたが、簡単に説明できるものでもないのでこのままにするかもしれないです。
ただ、もう質問は受け付けませんので悪しからず。
これ以上僕が答えれる事はないです。
これまでの文章の中から答えを探して下さい。
なければ、自分で探して下さい。
かならず見つかります。
意志ある所に道は開けます。
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