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Author:
Guest
Date:
Apr 03, 2007
Subject:
自信を持って言える治療法です。
Message:
おとつい?このサイトを見つけて投稿しましたが、改めて、皆さん初めまして! sinと申します。 もう一つの投稿でも書きましたが、僕は高校二年で脇見が発症して、一年ほど頑張って登校してましたが(毎日必死に下を向いて寝ながら・・)、限界がきてリタイヤ。 それから先の真っ暗な人生に絶望を持ったまま、5年引き篭もり、色々あって必死に社会に出て二年経ちますが、その二年で、赤面、キョドリ、自己視線に過呼吸など、あらゆる神経症が治りました。 脇見も完全には直ってませんが、大分良くなって、今出来ない事は人と並んでテレビを見たりデスクなどに座って隣に人がいる所で作業をしたり、あと人を助手席に乗せての運転、視界に人が入る状態でのカラオケ、といった、猝曚辰督校間人と並ぶ状態”だけです。 だけと言ってもこれが実際かなり僕の人生の足枷になってるのは事実ですけど・・ でも人と並んでご飯を一緒に食べたり、コミュニケーションを取るには全く問題なくなりました。 なので、生活の支障は殆どないです。 僕はたった二年で最悪な対人恐怖から抜け出せたので、本当はサイトを作って自分の経験談を事細かに説明したいのですが、 それを僕がやってしまったら僕はきっとこのまま完治しないだろうと思うので、やりません。 なぜならば、色んな所で言われてる事ですが、治そうと努力する事が一番良くないからです。 そんな事忘れて、他の人と何も変わらない生活をする事が一番の治療になるのです。 なので僕はこの手のサイトに常駐する事も避けているし、普段は全くメンヘル系の本だのサイトだのは見ません。 なので、今後長くここにいる事もないです。 けれど、僕もそうだったけれど、発症して苦しんでいる時は本当に人生先が真っ暗で、どう生きていけばいいのかも分からず、怖くて仕方なかったし、自殺などを考える人がいるのも分かるんです。 でも、この病気を患ってても生きていけるんだ、良くなるんだっていう事実を、残しておきたい。 一人でも希望を与えたいって思うので、最初で最後ですが、このサイトに僕がどうやってここまでよくなったのか、その方法を書き残しておきたいと思います。 本気で治したいって思う人は、参考にして下さい。 凄く長くなると思いますが・・。 長い中に、皆さんのヒントとなる事が沢山あると思います。 自分と比べて、色々気づいて頂けたらなと思います。 まず、発症当時、僕の対人恐怖症レベルは最悪だったと思います。 脇見もそうだけど、ありとあらゆる神経症を患ってました。 まともに外に出る事も出来なくて、コンビニで買い物をするだけでも例えばお金を払う時無意味に緊張して手が震えお金を落としてしまったり。 自己視線と脇見は僕は別物だと思ってます。 何故ならば自己視線は治ったから。 自己視線とは、自分の視線を何処においたらよいのか常に困り、人がいるだけで常に物凄い緊張と疲れが伴います。 なので、人のいる場にいる事自体困難です。 けれど今はそれが全く無いので、電車などにもふつーに乗れます。今では目を開けて座っていれます。 とにかく、以前は外に出れなかったんです。 外どころか家族ともいれませんでした。 発症理由はなんとなく分かるんですが、学生時代僕は人と接する事をせず、授業中も休み時間もただひたすら時間が過ぎるまで寝てました。 学校が嫌で仕方なかったんです。特に夢などもなかったし。 学校が終わると家に帰りまた少し寝て、起きてからは一人で当時好きだったアイドルの録画してたビデオをひたすら見る事が楽しみでした。 あと音楽が凄く好きで聞いてたのと、それくらいです。 毎日ただその繰り返しでした。 そんな中発症し、そして引き篭もってからはパソコンを始め、ただ現実逃避でネットを楽しんでたんですが、悪くなる一方でした。 ずっと逃避していたんですが、ある日潜在意識系のサイトに出会い、それから自分の人生や世の中の真理について深く考えるようになりました。 心理学や哲学に興味を持ち、そして神学系の書物を読むようになりました。 世の中の真理について勉強するようになりました。 それからです。僕の生きる事に対する考えが変わり始めたのは。 『やればどんな事だって出来るんだ。』『自分の現況は自分の心が作り出したものなんだ』 など、色んな事が洗脳とかじゃなく論理的に理解できるようになり、初めて自分の人生に夢を持つようになりました。 「こうなりたい、こうしたい」と。 で、それを叶える為にはやはりお金が必要だったし、社会に出なければ始まらない。 それで、ホントに勇気を振り絞ってバイトの面接を何個か受けました。 別に自己視線でも脇見でも、出来る仕事は沢山あります。 けれどそれまでの僕は、「接客は向いてないしやりたくない」とか「厨房ならやりたいけど脇見だから隣に人がいたら無理」とか、結局脇見でも出来る仕事はやりたくなかったから受けなかったんです。 そこまでして働く理由も無かったし。 それに、接客業などでもある程度自己視線や脇見は出るだろうし、実際努めたら想像以上に人の中にいるのが苦痛かもしれないと思ったから。 とにかく怖かったんです。 面接を受けても、面接官の目を見れないし赤面でキョドるしで、ことごとく落ちました。 人と並んでしなければならない作業系の仕事は出来ないので、受けるのはどうしても接客系。そんな仕事だからなお更そんな人間落とされます。 ただでさえ欝でモチベーションがあがらないのに面接で落ちたりしたもので、本当にもう社会に出れないのかと思いました。 けれど、近所の居酒屋で募集してると聞いたので、思い切ってもう一度受けてみました。 それまで僕は、友達は良い大学とか言ってるのに自分は近所でいい年してバイトなんて恥ずかしいと思ったので街中ばかり受けていたんです。 けど、そうも言ってられないと思って、受けました。 前の面接では「貴方は笑顔が無い」とか色々言われてたので、そりゃあもう、超笑顔で勢いつけて、必死に受けました。 で、「よしっ笑顔あるしな」と言われその場で合格。 後に聞いた話では人がいなくて困ってたってのもあるそうなんですが。 確かに街中より田舎の居酒屋の方が受ける人はいないでしょうね。 僕は何故か昔から社会ってものが凄く怖かったし、仕事をするってどういう事なのか想像も付かなかったので、怖くて仕方なかったです。 ただでさえ、極度の対人恐怖を患ってたわけだし、人と接するのは数年ぶりだし・・。 初めてのバイトの日は、恐怖を通り越してもうどっか開き直ってました。 あんなに勇気っていうものを使った日はなかったです。 最初は案の定神経症は出まくりました。 料理が出され、それを取って運ぶわけですが、隣に人がいると物を取るのも不自然な感じで、脇見でまくりで仕事の一つ一つがぎこちなくて酷かったです。 接客すれば赤面にキョドりで酷いし。 数日間は人や居酒屋の慣れない大きな音さえも耳に残って頭の中がうるさくて中々寝れなかったくらいです。 僕は引き篭もってる間、幾つかの神経症サイトは見たし、自分なりに神経症に対する考察をしていて、なんとなくですが治療に必要なものを察していました。 その中の一つが、爐箸砲く動く事”つまり、動物に戻る事。 自己視線を始め数々の神経症は、勿論人によりその原因は様々で、例えば精神的に何か酷いショックを受ける経験をしてそれが原因で発症する人や、自分を精神的に追い込むような何か苦痛な生活を続けた人などもいるでしょうけど、多くは僕のように毎日ただ一人で篭って不健康な生活を続け、動物を辞めてしまった人間が患うものだと思うんです。 そういう人間は、体も心もまずは健康な状態に自分を戻してやる必要があります。 そしてもう一つは、人と接する事。 コミュニケーションを取り、人と沢山会話する事。 時には悩み相談。時には下らない会話。 カウンセラーも対話を重視しますが、人の心には人との対話がとても効くからです。 話す、という事はとても重要です。 会話は心のストレッチなんです。心の凝りを解す効果があります。 何より、自分一人のおかしな殻から抜け出し、健常者(こういった表現も不適切ですが)の状態に感化されていく事出来るので、これはとても大事です。 それで、居酒屋というのはその両方に効く良い場所だと思ったのです。 良く動くし、暇な時は良く話すでしょ? お客さん(他人)とのコミュニケーションも良く取るし。 それに、僕の受けた居酒屋は最近多い個室居酒屋で、お客さんの目というか自分の視線が気にならない。 これなら働けるって思ったんです。 それで、とにかく頑張って一年続けました。 丁度、凄くよく話をする子がいて、その子とは本当にペチャクチャ話しました。 最初は、話すのが嫌だったけど(僕は人と話すのが好きじゃなかったから)けれど、僕に取ってその子との会話はとても治療になったと思ってます。 沢山笑ったし、沢山人生についてなども話したし。 ずっと引き篭もって暗い精神状態になってた僕は、自分がどれだけダークな精神状態なのかっていうのに、気づいてませんでした。気づかないもんなんです。その状態が普通だから。 けど、神経症患者の人たちは、まずそこに気づくべきです。 健常者から見て、どれだけダークでジメジメしてるのかという事に。 ジメーっと、自分の神経症についての暗い話ばかりしていては、一向に良くはなりません。 自分の過去だの、家族だのなんだのに原因を見つけ、あれが悪かっただのああすべきだっただの、過去の自分を癒してどうだの、そんな療法に拘る時間があったら、外に出て、下らない話を沢山して下さい。 下らないコミュニケーションを沢山取り、沢山笑って下さい。 最初は、それが僕はとても嫌でした。 バカ騒ぎが嫌いだったし、お酒の席でも全然楽しめないし。 「自分はこんなにシリアスな問題を抱えてるのに、みんな気楽でいいよね」みたいな捻くれた視線でいつも見てたからです。「自分はこんなにバカにはなれない」みたく。 けど、そんな事を思ってるうちは治りません。 一年居酒屋を続けましたが、実際その一年は本当に大変でした。 辞めたい事も沢山あったし、向いてなかったし。 けど、何とか続け、神経症も大分軽くなり、職場にも慣れ、嫌な先輩もいなくなり自分が上になって職場の状態が良くなった頃に、僕は次の仕事に転職しました。 一段階クリアしたので、次にいったのです。 一番の理由は、お金でしたけど。 自分の夢の為には、もっと稼げるところでなければならなかったからです。 それで移ったのが、パチンコ屋です。 それを受ける時も、物凄く怖かったし不安も沢山ありました。 けど、思い切ってまた飛び込みました。 その面接もそりゃあもう必死に受けました。 僕が出来る仕事なんて限られてるから、落ちてもまた他があるさっていう人とは違う。 必死に受けたら、友達が落ちて僕が受かりました。 頑張ってみるもんです。 受かったのはいんですが、そこで一番困ったのは、休憩時間でした。 テーブルを長椅子が囲んだ状態で、何人も座って休憩を取るんです。 しかも一時間に一回くらいの勢いで回ってくる。 自己視線と脇見が酷かった僕は、最初は本当にどうしていいか分からなかったです。 居酒屋の時は、立って談笑するのは出来たけど(人か視界に入ったら立ち位置変えればいいから)何人も座って話すのは無理だったんで、ご飯も一度も取らなかったんです。 なので休憩時間はいつも隅に座り、いつもみんなとは逆の壁の方向に目をやってました。 そんなんだから感じ悪いし、余計に打ち解けれない。 あと、朝礼と終礼。 みんな並んで、上司の大事な話を長々を聞かなければならない。 上司の話だから明後日の方を向いてるわけにいかないし、本当にこれは最初困りました。 いつも隅の場所に立ち、上司がこっちに目をやった時だけなんとか見返して相槌を深く打って、毎日その繰り返しで乗り切りました。 それもあったし、スロットの目押しも最初は困りました。 お客さんにの目線の高さで横に並んでスロットの絵柄を揃えなければならない。 ただでさえとても難しい事なのに、脇見でまくりで集中できなくて何度も失敗し、客は苛々で上司の目もキツいしで、辞めるしかないのかなとまで悩みました。 けれど、人間追い詰めれらるとなんとかなるもんですね。 絶対に失敗できないと思ったら、目押しに集中できるようになり、お客がどうとか脇見がどうとか考える余裕もなくなり、実際に脇見も出なくなったんです。 一日何十回もあったというのも、気にしなくなった理由かもしれません。 で、ここでも一つ、僕は逆に治療になると思った事があって、それは休憩時間のコミュニケーションです。 居酒屋以上に、ホントにタイマンで色んな人と話さなければなりませんでした。 休憩中は二人きりだったり三人だったりなんですが、コミュニケーションタイムって感じだったので。 けれど、話す事を強制でもされない限り、僕は自分から人とコミュニケーションを進んで取らなかったと思うんで、これは良いきっかけでした。 それもあったし、ここでは毎日のように人と食事に出かけて話したりしたし。 何より、仕事が大変でした。 レベルの高い接客を要求されてたんで、毎日自分の仕事を必死にやるので精一杯で、神経症について悩む時間なんてなかったです。 帰ったら疲れて寝てしまってたし。 他の事で悩む、というのは、凄く大事な事です。 社会に出たら、嫌でもいろんな悩みが出てきます。 仕事もそうだし対人関係や恋や・・。 そうなってくると、神経症を考察したりその事を悩んだりしてる時間がなくなるし、そんな事忘れます。 ここは対人関係も難しかったし、仕事自体居酒屋よりもっともっと大変な一年でしたけど、その一年が僕を変えました。僕を強くしたんですね。 最初は過呼吸が出たりしたし、倒れた事も何度かありましたけど、 それも全くでなくなりました。 冒頭で挙げた殆どの神経症は治り、今では脇見だけです。 二年前の僕からみれば、想像も付かないくらい、劇的な変化です。 一番嬉しいのは、人が沢山いる場所でも問題なくなった事です。 電車や、みんなでの食事など。 今では全く平気です。 以前は電車の中で目を閉じてても周囲の意識が気になって、外に出るだけでヘトヘトに疲れまくってました。 ホントに、どんどん良くなってます。 家族とテレビを一緒に見れるようにもなりました。 ただし、位置的に自分がちょっと前にいないとダメですけど。 人といれるようになれば、それが治療になりどんどん良くなります。 とにかく人といるのが大事なんです。 けれど神経症の人は神経症だから人といれない。いれないから治らない。この悪循環。 パチ屋での休憩時間も、最初はいつも隅に座り明後日の方を見てたのに、最後の方はみんなの真ん中に座り脇見とかなく談笑できるまでになりました。 大事なのは、やっぱり精神状態なんです。 人の中に楽しく入れるようになれば、神経症なども治るって事が分かりました。 それには、心を開いていかなければなりません。 心から、人を好きになり、人との時間を楽しいと思えるようにならなければなりません。 心の凝りを解す事が、治療になるんです。 そうやって人と心から楽しく会話するには、自分は神経症だっていうダークな悩みが心根にあるうちは無理なんです。 けれど、会話しなければ凝りは解れない。 この不可能な数式を解くには、事実今現在神経症中であっても、その事を一旦全く忘れて気にしないで、人と沢山接する必要があるという事です。 脇見が完全に治ってないのにここでそれ以外の治療を話しても無意味かと思われるかもしれないですが、 僕が言いたいのは、社会には出れるし、問題なく生きていけるし、絶対に良くなっていくという事です。 出来ない事も出来るようになってくるんです。 神経症になる人間は、ほかでも言われてる通り、優しく神経質で頭が良くて繊細で・・というのも確かにそうだと思います。 けれど、ネックになってるのはそこじゃないんです。 優しいとかそんなの別に、それが理由かと言われたら、理由ではない。 自分は優しすぎて繊細すぎるからいけないんだ・・とかって感傷的になってる人がいたら、「いやそうじゃないよ」、と突っ込みたい。 神経症の人がネックになっていて治さなければならない一番の性質は、 『甘くて、弱い、心が硬い』 という部分です。 自分に甘くて弱い。 それが一番の神経症の引き金です。 それを、優しくて繊細と捉えてるのならばそれは違う。 自分一人でもし生きていかなければならなかったら、貴方はそうして神経症がどうとか言って引き篭もってられますか? 今貴方の生活を支えてるのは誰ですか?? 貴方の両親は、意味の分からない貴方の引き篭もりにとても困って心配している。 けれどどうする事も出来ずそっとしたまま貴方の生活を支えてる。 けど神経症患者の人は、「自分はとても今困ってるから、仕方ない。両親の事まで考えれない。両親は自分がこうなった原因でもある。」 と思ってる。 それどころか、死ぬ事すら考えたりしてる。 それがとてつもなく甘ったれた自分本位な考えであるという事にまず気づかなければなりません。 全く持って優しい人間の思考回路ではないです。 もし「貴方一人で今日から生きていきなさい」とポンと何も無い所に放り出されたら、貴方の神経症は治るでしょう。 神経症とかそんな事言ってる場合じゃなくなってがむしゃらに生き始めたら、治る、という事です。 そこに神経症を治す鍵があるという事です。 治すにはまず、生きる事に必死になる必要があります。 治すことに必死になるのではなく、健常者がそうなように、生きる事に必死になる必要があるんです。 必死というのは、自分にムチを打つ事だけを言うんじゃないです。自分を追い込むだけでもない。 他の人と同じように、自分の将来に胸を躍らせ、夢を持ち、それに向かって真っ直ぐに突き進んでいく。その為に言い訳なんかしてらんない。 という事です。 けれど神経症患者の人は「まず治さないと何も出来ない」と考えます。 そうじゃないんです。まず、神経症を横にどけて人生を立て直す事を考えてみる必要があります。 他のスレッドで仰ってる人もいましたが、僕もその通りだと思います。 神経症真っ只中だった僕は、とてつもなく弱くて甘い人間でした。 周りへの感謝の気持ちも何もなかったし、自分が大事な命を与えられて生かされているんだという認識もなかったです。 今だから分かる事です。 社会に揉まれて、暖かさや冷たさ、楽しさやつまらなさを沢山経験して下さい。 人と沢山関わる中で、神経症は治っていきます。 人生ってどういうものかが、分かってきます。 そして一番大事なのは、人間的魅力を持つ事です。 僕が魅力的な人間だって言ってるんじゃないですよ・・。 そうじゃなく、明るく楽しい人間でいる努力をする必要はあります。 無理に自分を作るのではなくね。 明るく楽しければ、人は寄ってきます。 自己視線や脇見が多少あっても、それで嫌われるという事は全くないし、そんなに相手も気にしません。 対人関係と神経症は関係ないと考えて下さい。 それが理由で人に嫌われると思ってるのならば、それは神経症を言い訳にしてるに過ぎません。 神経症についてドロドロ悩んでる事で暗い人間になり、ますます人が寄り付かない、という事もあります。 そういう悪循環に陥らないよう、魅力的な人間でいて下さい。笑顔を忘れないで下さい。 対人恐怖症と、対人関係を築くのが下手なのはまた別問題です。 後者の問題は、生きていく中で多かれ少なかれ健常者でも悩んで手探りで上手くなっていくものです。 それは、神経症を言い訳にせずに自分で成長していくしかないと思います。 僕が見る限り、日本人の多くは対人関係を築くのが下手ですよ。 みんな下手だけど頑張って築いてるものです。 けれど神経症の人は、それを理由に頑張らない。何をするにもそれを言い訳にし、神経症だからダメでしたと結論を出して引き篭もる。 人に嫌われない人間になる事を考えるのではなく、人に好かれる人間になる為にどうしたらいいかを考えて下さい。 それは健常者だって考える当たり前の事です。 嫌われない人間になるにはどうしたらいいかと考えるから、⇒神経症を治すしかない と考え、⇒無理⇒人と接すれない⇒社会に出れない という自己完結で終わってしまう。 もっと器用になって下さい。 それが強くなるという事だと思います。 そして、まず神経症を忘れた上で、自分のやりたい事を普通に考えて下さい。 思いついたらそれに向かって突っ走って下さい。 夢は何よりも強いです。 嫌な事辛い事があっても乗り越えれます。 夢を持ち、そして生きる事にもっと真剣になって下さい。 生きていかなければならないと思ったら、神経症がどうのとか言ってられないはずです。 自分は神経症だからあれが出来なかったこれが出来なかったなどど決して言い訳しないで下さい。 やりたい事があったらあきらめないで、遠回りでもいいから確実に夢を叶えて下さい。 やりたい事が思いつかなかったとしても、自分の人生くらい自分で面倒見て下さい。 親に心配をかけながら食べさせて貰う事が恥ずかしい事でとても自分勝手な事だと気づいて下さい。 田舎にいけば月7万くらいでも生きていけます。 それくらい、警備とかのバイトでも稼げるはずです。 神経症は言い訳になりません。 本当の絶望とは、自分に対し“出来ない”と結論を出す事です。 出来ない事なんてありません。 “やらない”だけです。 甘えこそ、自分の首を絞め自ら絶望へと追い込んでるのです。 最後に。 僕が以前この話を某所でした時、殆どの人が耳を傾けませんでした。 「君と僕は病気のそもそものレベルが違うよ」と言われたり、 ただ慰めあうだけ、愚痴や辛さをこぼし合うだけを望んでる人が殆どで、本気で治したいと思っている人のいなさに驚きました。 犲った”とか猯匹なった”と言ってる人たちの方法はみんな、実践的なものが殆どで、明日すぐに治る魔法みたいな、簡単なものではないはずです。 だからなのか、耳を傾ける人間は少ない。 自分とはここが違うと差異を探したり、君は治る素質があったからたまたま出来たんだ、運が良かったんだよと、勝手に卑屈になったりします。 これだから神経症患者は神経症なんだって、思いました。 その弱さ甘さ卑屈さこそが神経症に陥る一番の理由なんです。 本気で治したければ、自分に厳しく、時には優しくなって下さい。 そのバランスを上手く取る事が大事です。 甘すぎても厳しすぎてもダメ。 最初は大分甘やかしながらでもいいです。 あんまり無理をすると過呼吸になったり他の病気が出始めてしまうんで。 でもそのうち、大分厳しくしても平気になってきます。 強くなってくるんです。 普通の当たり前の健康な生活こそが、治療なんです。 それが出来るようになったら、体を鍛えて、習い事でもして、より健康的な生活を心がけて下さい。 パソコンだのテレビだのゲームだのばかりやってるうちは、良くはなりません。 それを言ったら「パソコンやゲームばっかやっててもならない人間はならないじゃないか。そんなの関係ないんだよ」と言う人がいます。 これは屁理屈以外のなんでもないです。 神経症は精神の病気です。病気が治ったら健常者と同じ事をしてても構いません。 けど、患ってるうちはまず治す事をしなければなりません。 グダグダな精神の人がグダグダな事をしてて良くなるわけがありません。 自分の精神はとても病んでる、で終わりじゃなく、病んでるからその治療をしようと考えて下さい。 神経症患者の不思議な所は、自分達は病気だとやたら主張するわりに、“治療”という概念がすっぽり抜けてる。 考え方を変えようだとか、過去のトラウマを消そうだとか、そういう事にばかり一生懸命になろうとする。 ああしてみようこうしてみようじゃなく、治療しなきゃならないんです。 精神が病んでるんです。 病んでる精神を治すには何が必要か。 健全な肉体作りと健全な思考形態作り。そして健全なハート作りです。 神経症患者はこの三つ全部がダメです。 重症な人であればあるほど。 社会に出る事が何故治療になるかと言うと、仕事にもよりますがまず動く事で健全な肉体を。仕事で頭を使う事で健全な思考回路を。そして人と接する事で健全なハートを作る事が出来るからです。 これは幾ら一人で部屋に篭っていても作れないです。 むしろどんどん悪くなります。 うつ病の人などは精神が病んでるという自覚が強いですが、脇見や自己視線などの神経症は“対人恐怖の一つ”であると考える人や、思い込みの脅迫観念に縛られた恐怖症だと思ってる人が多いです。 けれどそれは違います。 一理ありますけど、それが根底ではないんです。 精神が病んでしまった故起きているんです。 病んだ原因は人それぞれでしょうけど、いずれにせよ多大なるストレスで病気になってしまってるんです。 それらが治ってきた時、自分の精神がどれだけ病んでいたかが分かります。 どれだけドロドロジメジメしていたか。 その時は別に病んでるとは全く思わないけど。 天は自らを助くるものを助く。 僕の好きな言葉です。 自分を本当に助けるには何をしてあげる必要があるのか、それを真剣に考えて下さい。 甘やかすだけじゃないはずだし、追い詰めるだけでもないはずです。 色々やったけどダメだったという人は、やり方がまずかったんだと思ってください。 頑張って社会に出たけどダメだったという人は、じゃあ出来る方法でまた出直して下さい。 全く人がいない仕事だってあります。警備や、一人で突っ立ってるカウンターや。 そっから始めたっていいはずです。 そうやって少しずつ社会に出る事が何より治療になるんです。 それをクリアしたら、次はちょっと人がいる仕事について下さい。 全く人がいない所にいるだけでは治らないです。多少はリスクある状況に置く必要があります。 大きなリスクを背負えば背負う程、人の中に入れば入る程、治りは早いです。 でも無理な状況に置き過ぎると、逆に病気を意識しすぎてしまって悪化してしまいます。 その辺は自分で考えて職業を選んで下さい。 自己催眠みたく、「こう考えたいい、ああ考えたらいい」という方法でよくなる人もいるかもしれません。 けれど、元々プラス思考が苦手でそうなってる人が殆どなわけですから、僕としてはそれは多くの人には一時的な暗示にしかならないと思います。 ちょっと良くなったような気になるだけだと思います。 暗示をかけるのに必死になってるより、ただ社会に出て毎日を生きていれば、気づいたら良くなってると思います。 という事で、大変長くなりましたが終わります。 自分のサイトでもないのに長々と語り失礼しました。 もっともっと細かく分析すればお話する事はいろいろあるんですが・・。 上の話だけでは「何を根拠に言うんだ」と思う方もいるでしょう。 一つ一つの事に対し細かい説明をしだしたら幾らでもあります。 けどとりあえずこの辺にしておきます。 この書き込みは、勝手にコピペしてどっかに貼ったりしても全く構いません。(無断リンクはダメだと思いますが) 困ってる人や絶望してる人がいたら、「こんな治療あるみたい」と教えてやって下さい。 絶対に、神経症は良くなります。 希望を持ってください。 脇見については僕もまだ手探り中ですが、完治する方法を絶対に見つけてみせます。 [color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea][color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea][color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea][color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea][color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea][color=orange:7045a4d6ea][/color:7045a4d6ea]

Author:
Guest
Date:
Jun 13, 2007
Subject:
脇見めちゃ軽減しました
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なんだか勝手な一人語りになってますが、書き残す事だけはしておきます。 「参考になんね」「自分とこの人は違うから」と思う方はスルーして構わないです。 せっかく良くなってるから一人でも手助けできればと思うので、とりあえず残しておきます。 この間とある検定を受けてきたんです。 今まで試験なんて不可能って思ってたのですが、ようやく受けれる状態にまでなりました。 学生時代は教室で目を開けてる事すら出来なかったのに、真ん中の席で全く問題なく前を見れてる自分に驚きました。 物理的な方法と心理的な方法があるんですが、物理的な方法は、他でも言ってる人いたかもしれないですけど最近流行ってる耳にかける横の部分にやたら幅のある淵眼鏡です。 あれをかけてたら自分自身が横殆ど見えないので、まずそこで大分気持ち的に楽です。 もう一つは完全に心理的なもの。 色々と、自分の精神に良い事はしてきたし、大分脇見も出なくなってきてたので、後は気の持ちようも大事だなと思って心理改善を実践してみました。 僕の場合、治ってきてるけど過去のトラウマで立つ事が出来ないリハビリ者みたいなもんだったので。 それで僕が成功した方法は『逆ギレ法』です。 つまり、「何見てんだよ!?」と例え相手に不快に思われたとしても「はぁっ?自意識過剰じゃね?見てねーし!」という大きな態度で堂々としてる、ものです。 そもそも、脇見患者の人が何故、周囲の人間にキレられたり不快に思われなければならないのか、と疑問に思ったのです。 相手が不快だとキレたとして、「見られてる」と思うその相手だって自意識過剰だとも思いませんか? こっちは見てるつもりはないんです。だったら、「見てない」と堂々としていればいい。 けれど脇見患者は「相手が可哀相・・メソメソ」とか「申し訳ない・・オドオド」とか「キモイって思わないで・・ビクビク」「睨まれた・・・ビクビク」 という弱気な態度で萎縮しきってます。 実際僕もそうでした。 「ごめんなさいごめんなさい・・」といつも心の中で謝ってましたから・・。 それにより、「脇見を止めなければ治さなければ・・」と強く念じすぎ、むしろ相手を意識しすぎてしまうという悪循環に陥ってます。 それで最近は脇見が出始めたら僕はむしろ堂々と、強い気持ちを持つようになりました。 つまり、相手の苛立ちに押されたり弱気になったら負け。 相手にキレられる筋合いはないんです。 だって見てないんだもの。 見てるつもりないんだから、自分は全く悪くない。 見られてると思う相手が悪い。 こっちが堂々としてれば、相手も「自分の勘違いか。自意識過剰か」と思うようになります。 こっちがいかにも弱気な態度をしてると、相手も大きな態度で出てきます。 中には舌打ちされたりする人がいるのはそういう人だと思います。 見てる相手が怖いやっさんだったら、舌打ちなんかしないでしょう。 むしろその人の方が見られてる事に萎縮するはずです。 別にやっさんみたいに振舞う必要はないですが、舐められない態度で堂々としていれば、何も怖くないし何も苦痛じゃない、という事が分かりました。 もしキレられたらキレ返してやればいい。 何もこっちが萎縮する必要ないんです。 発症してるしてないは全く問題ないんです。 発症してたとしても自分が苦痛じゃなければ発症自体別に問題ないんですから。 「相手を不快にさせて自分は全く知らん顔なんて人として酷い」って思う人もいるかもしれないですが、人生ってそんな生易しいもんじゃないと僕は思うんです。 奇麗事だけ並べてても、何も出来ないんじゃ意味がない。それは結局、優しい人間なんかじゃないし、正しい人間でもない。 別に人を蹴落として進んで行く必要は無いけど、一時期不快にさせちゃった人には、ゴメンねと心の中で謝っておけばいいと思うんです。だってその人にとっての不快は一時期なんですから。 僕らは、人生かかってるんです。 試験に備え、そういう強い気持ちで人と並んで外で勉強したりしてみたんですが、そしたら脇見が出ることなく勉強が出来たんです。 いや正確には実際出てたのかどうかは分からないです。出てたのかもしれません。 でもとりあえず、僕自身が全く気にしなかった。気にならなかった。 隣の人間が咳払いをしたりこっちを睨んだりしてたかもわからないですが、僕は集中してたんで気にならなかった。 実際、隣の人間も気にしてなかったと思います。 それで、検定を無事受ける事が出来ました。途中脇見が出て集中できなくなったりもしたけど、なんとか自分を取り戻して試験に集中しました。 集中力も大事だなって思いました。 隣の人がどうだったのかは分からないです。 もしかしたら僕のせいで集中できなかったかも分からない。 けど、「運が悪かったですね。でもそれで気が散って落ちたならまだまだ貴方も甘いんで次頑張って下さい」くらいにしか思わないようにしてます。 それくらい強い気持ちを持つのが大事だという事が分かったので。 神経症患者は、何よりも健常者より格段に気持ちが弱いんです。 脇見というか自己視線の逆バージョンの、他者視線で悩んでる神経症患者がいる、という事がそれを表してます。 「見られてる・・」とビクビク萎縮する人間だっているのに、何故僕ら脇見患者の人間に対して健常者はキレたり露骨に不快な態度が出来るのか。 もし僕らが逆の立場でずっと見られてたらどうです?キレるでしょうか。睨んだりしますか? 多分、「何故見られてるんだろう・・」と萎縮して下を向くでしょう。 常に、劣勢の気持ちで外の世界の人間と関わっている証拠です。 確かに優しいとも言い換えれます。 でも、強さがなければその優しさは全く意味がないし使い物にならない。 もっと強い気持ちを健常者と同じように持たなければならないんです。 そして脇見患者の特徴として、人から嫌われる事否定される事拒絶される事を極端に恐れてます。 健常者ならば、舌打ちされても睨まれても「なんだよあいつ」ってむしろこっちの気分が悪くなる程度で、そんなにトラウマになる程気にしないはずなんです。 けれど、もうそれが怖くて怖くて仕方ない。 二度と外には出れないとすら思ってしまう。 「また嫌な態度されたら・・」と恐怖に足がすくんでしまう。 それは拒絶を極端に恐れてるからです。 では何故そこまで極端に拒絶を恐れるのか。 きっと深層心理的に検証すれば、個々に色々理由はあるんでしょう。 何か過去のトラウマかもしれないし、親の愛情がどうとか、苛められた経験がどうとか、色々あるかもしれません。 僕にも思い当たる節は幾つかあります。 でもそんなのもう、言い訳でしかないんです。 人のせいにしてないで、乗り越えなければならないんです。 人は、恐れるものほど自然と引き付けてしまいます。 怖いと思ってるから怖い結果が出るんです。 何故ならば経験というのは実感でしかない。 同じ経験をしても、それを恐怖と感じる人と、特に何も感じない人がいる。 恐怖というのは体験ではなく心の状態でしかないんです。 ならば恐怖を恐怖と思わないようになればいい。 それには、「何故怖いのか?」という疑問を自分で解決しなければなりません。 何故人の拒絶をそこまで怖がるのか。 そして克服するにはどうすればいいのか。 克服する為には、何でもやって下さい。 普段から人に嫌われてばかりいるから、という事がその人に取って拒絶を恐れる理由ならば、好かれる為にどうすればいいのか、考えて行動して下さい。 自分に自信がないから、というのが答えならば、自信をつけるために必要な事をやって下さい。 けれど、最終的には「別に嫌われたっていいじゃん。分かる人が分かってくれれば」という開き直りが一番いいと僕は思います。 そして、自分自身が自分を肯定してあげる事。 自分が自分を愛してあげる事。 それがとても大事です。 脇見な自分を肯定するとかじゃなく、自分という人間全てです。頭のてっぺんから足の先まで。心の奥底から表面まで全部です。 そうすれば、他人の否定は気にならなくなります。 睨まれても舌打ちされても「あーごめんねー」とヒラヒラ軽く手を振る気持ちで外の世界と触れていればいんです。 実際、電車の中で今でもたまに隣の人間にチラって確認するように見られる事はあります。 けれども、「なにか?」という普通の顔でこっちもきちんと顔を向けて見返してやるんです。 そうすると、相手がまたチラチラこっちを見てきたりはしなくなります。 向こうがむしろ、「チラ見してすみません」という気持ちになるからです。 だから、実際脇見が発症してるかしてないかは問題じゃないんです。 出てようとどーでもいいよと全く自分が気にしてなければ、それが悩みにすらならなくなるんです。 ただ、以前の僕は“気の持ちよう”とかいう次元ではなく、目を瞑っていても隣の人間に意識がいってしまってどうにも出来ないというくらいに酷かったので、まずそこを抜けないと幾ら気持ちを強く持っても無理だと思います。 その方法は以前書いた通りです。 “完治する事を望んでるうちは、完治しない。” “脇見を人生が上手くいかない理由にしてるうちは、一生脇見は治らない。” 僕が身をもって確信した事です。 受け入れて、受け流す事。 それが治癒への道です。 そしてもう一つ。 感謝して下さい。 生まれてきたことに。生きている事に。 育ててくれた親に。 人生がいかに貴重であっという間かという事が分かれば、脇見がどうとかウジウジ悩まなくなります。 もっと他に頭を悩ませなければならない事がある事に気づくはずです。 また長くなってしまいましたが、一人でも良くなる事を願ってます。[color=indigo:ca804b293d][/color:ca804b293d]

Author:
ポスト
Date:
Jun 19, 2007
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初めて読ませていただきました。 とても前向きで、的を得たご意見だと思います。 会社での脇見や対人関係に悩んでいましたが、 少し気が楽になりました。 ありがとうございました。

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